Hot Streets

アラ古希のジジイが呟く音楽の話

私の好きな「CHICAGO」と言うバンドについて

こんにちは、make me smileです。

 

いきなりですが、私の好きなブラス・ロック・グループ「シカゴ」の話です。

その昔、シカゴと言えば「流血の日」がバンドの代名詞でした。

実際に起こったシカゴ民主党大会のシュプレヒコールを曲の中に取り入れ、シカゴは暫くの間、反戦・反体制バンドとしての印象を強くしていました。

 

そして新人としては異例の2枚組レコードで衝撃デビュー。続く2枚目、3枚目も2枚組。

4枚目に至っては何と「4枚組」のライブ盤を発売。

当時¥8,000近い高額の為、2分割して2枚組に、またそれでも高価で4枚を1枚に編集して発売するなど、同じ内容のライブ盤で3種類を作成するほど人気が高かったと言えます。

 

この「2枚組」デビューが評論家連中から「新人のくせに生意気」と思われ、「ロックミュージック殿堂入り」に、デビュー後50年もかかってしまう要因になったのではないか、と言われています。

あれだけの売り上げとヒット曲にも恵まれた、あのアメリカでのビッグネーム「シカゴ」が何故殿堂入りしていないのか。業界の7不思議とも言われていました。

セカンド・アルバム「23の誓い」の発売後、シングル・カットされた「長い夜」が大ヒット。シカゴと言えば「長い夜」と言われた時代になりました。

ひと昔前に流行った松山千春の歌ではありません。

現在のコンサートではエンディングとして使われる事が多く、やはりシカゴの代名詞としてグループもファンも認めるのでしょう。

 

その後、「サタディ・イン・ザ・パーク」「愛ある別れ」などビック・ヒットを積み重ねる訳です。

30年程前になりますが、久々に「素直になれなくて」と言うバラードが大ヒットをしました。

 

そして「素直になれなくて」を切っ掛けにして、多くの新しいファンが生まれた訳です。

 

ファンとしては大いに喜ぶところでしょう。

 

しかし、私は違います。そう思いませんでした

「シカゴって素敵なバラード・グループだね」ってか…。

「昔のシカゴはバラードが入っていない。ガッカリ」ってか…。

誰がどう思おうと構いませんが、プロデューサーに「デビット・フォスター」を迎えて作った「シカゴ16」。あの「素直になれなくて」の大ヒット…。

私にとって、それほど喜ばしい事では無かった

 

「デビット・フォスター」は名プロデューサーです。

彼はシカゴが売れる事を一番に考え、あえてメンバーの意見を無視したそうです(本人のインタビュー記事を読んで知りました)。

依頼されたプロデューサーの立場からすれば、当然の考え方でしょう。

売ることが目的なのですから…。

 

別に「デビット・フォスター」が嫌いな訳ではありませんし、彼の作ったグループ(エアプレイやスカイラーク)のアルバムは持っています。プロデューサーとしても評価しています。

 

しかし、私は納得出来なかった。

新しいファンの獲得に走った姿。その姿は私の目に悲しく映りました。

シカゴは「バラード・グループ」ではないのだよ。

「ロックン・ロール・ウィズ・ホーン」をコンセプトに集まったバンドなんだよ!!

 

この時代、シカゴのホーン3人衆は、シングル曲のために制作されたミュージック・ビデオや、日本のクチパク音楽番組に出演した時、本来の楽器の代わりに音の出ていないギターやキー・ボードをすまなそうに弾いていた。

売る為とは言え、私は悲しい思いをしました。

 

せっかく日本まで来てこれかい…

 

ここからしばらくの間、私にとっての「残念な暗黒の時代」の幕開けです。

 

ラッパ隊の3人も、ロバート・ラムも泣いていたと思います

「こんなのシカゴじゃない」と…(そのような発言を読んだ記憶がある)。

 

「ボイス・オブ・シカゴ」ともてはやされた、「ピーター・セテラ」の脱退もまずかった。

 

しばらくの間は「可愛さ余って憎さ100倍」ってやつでした。

ああ、私の『シカゴ』は一体何処へ行くのだろう…

ビル・チャンプリンの加入に全く異論はありません。

その後の活躍も見事だったし、何せ歌が上手かった。

デビット・フォスターがいなければ、チャンプリンの加入もなかったでしょう。

近年のビル・チャンプリンの脱退は残念にさえ思います。

 

そして、私はこう考えることにしました。

 

「音楽の傾向が変わった事、世間には大きな誤解を与えたかも知れない。しかし売れるためには仕方のない事。昔のヒット曲も沢山あるし、暗黒時代のヒット曲もあるし。コンサートの曲目には事欠かないし…」

 

実際にライブで演奏する曲の9割は、暗黒時代以前のヒット曲です。

 

暗黒時代やそれ以降の曲は1~2曲です。

彼らもスタッフも分かっているのでしょう。

「素直になれなくて」だけは、エンディングかアンコールで必ず演奏すようですが…。

 

シカゴを聴くようになって、はや50年。

中学時代、友達から来た手紙のあて名が「○○シカゴ様」となっていました。

配達の郵便局員からは「ふざけたあて名を書かないように、友達に伝えなさい」と怒られました。

 

50代の時には、シカゴのTシャツで歩きカナダから来たと言うシカゴ・ファンに(日本人でした)デパートで声を掛けられ、5分くらいでしたが立ち話をしました。

別れ際に「ちょっと触らせて下さい」と言われ、ロゴ・マークを触らせました。

 

いい年して、まだそんな事をしている私です。

一体いつまで続けるのでしょうか?

 

でも、昔ほど騒いでいる訳ではありません。

他人が何と言おうと、別にどうでもいいと思っています。

 

長年連れ添った女房と一緒で、もう離れる訳にはいかんのです。

 

ロゴには著作権があるため、ここでは掲載はしませんが、

コカ・コーラに似た「ロゴ・マーク」と共に、常に一緒にいたい‼

 

 

それでは、今回の話はこの辺でお開きと言う事で…

 

「テケテケテケ…」のザ・ベンチャーズと親父バンドのお手伝い

こんにちは、make me smileです。

 

「一度は観たいな」と思いながら、何度もチャンスに恵まれながら、とうとうこの年まで「ザ・ベンチャーズ」を生で観たことがありません

 

昔は頻繁に来日していました。

90年代には、頻繁に来日公演をする外国ミュージシャンを「第2のベンチャーズ」と揶揄し、失礼な紹介の仕方をするメディアもあったくらいです。

一時はコンサートの入場者も頭打ちになり、街中でタダ券を配っているのを目撃した事があります。後でそれが「ベンチャーズ」だと知りました。80年代の事だと思います。

 

最近は来日したことも特に話題になりませんし、どうしているのだろうと思い

調べてみますと、来ています、来ています。

但し、創立当時のオリジナル・メンバーの何人かは他界してしまったようで、新たなメンバーを加えての活動の様です。

 

2019年、ザ・ベンチャーズは結成60周年のコンサートを開催しています。

顔ぶれがすっかり変わり、「名義」だけが強くなってきたとは言え「テケテケ」は永遠。

 

息の長いバンドです。ひょっとすると100年後にも「ベンチャーズ」は存在しているかも知れません。

 

私は「ベンチャーズ世代」より少し下ですし、「ギター小僧」でもありません。

特段、熱烈なファンではありませんが、夏のドライブ・ミュージックとして聴きたくなる事もあり、オランダ盤ではありますが、ベンチャーズの20曲入りベスト盤を所有しています。

 

話は少し変わりますが、私の知人に北海道大樹町のアマチュア・バンド(俗に言う親父バンド)でギター担当だったKさんと言う方がいます。役場勤めの方でしたが、今は病気療養のため千歳市に住んでおり、今でも年に何回かメールで近況報告をする間柄です。

 

残念ながらバンドは既に解散していますが、バンドとしては3枚の自主制作CDを出し、ガレージを改造したスタジオで数回ライブを行うなど、エネルギッシュに活動をしていました。地元紙で取り上げられた事もあります。

 

私は長年にわたりKさんと仕事上のお付合いがあり、互いの音楽好きは双方の知るところでもありました。

ある日、Kさんから自分達親父バンドの音楽活動やCD作成について話をされ、そのCDのジャケット作成を依頼されたのです。

 

聴く事以外で音楽に関わる事はありえないと思っていた私にとって、「よーし、出番が来た。解説書も付けてみよう、考えられる事を全て形にしてみよう」と意気込んだのは言うまでもありません。

 

作成予定である3枚のCDの内容について、その具体的構想を聞いてみると、1枚目は親父バンドのメンバーが音楽に親しんだ頃全盛だったグループ・サウンズのカヴァー曲2枚目Jポップのカヴァー曲、そして3枚目全曲オリジナルとの事です。

 

早速、会社の若手社員何人かで取り掛かりました。

あくまでも「仕事がらみ」と言う事で、勤務時間中に作業。

写真撮影と解説書は私が担当し、ジャケットデザインは若手社員が行いました。

頼まれもしないのに、勝手に解説書も付けました。

2枚目も同様の制作状況です。

 

そして3枚目を作る時、Kさんから思いがけない事を言われました。

 

「オリジナル曲の作詞を頼めないか」と言うのです。

作曲はメンバー内で出来るが、作詞は出来ないとのことでした。

 

私は、こうなれば最後までトコトン行こうと思いました。

手伝います。手伝わせて下さい。「毒を食らわば皿まで」です。

詩なんか書いた事ははありませんが、作詞OKです。

 

こう応えた私ですが「こんな雰囲気やイメージの楽曲にして欲しい」と要望。

それから来る日も、来る日も、仕事の合間や車の中などで作詞をしました。

途中で作曲担当である他のメンバーとやり取りです。デモCDで曲全体の雰囲気を確認しながら、歌詞(文字)の足りないと所を埋める作業の繰り返し…。

 

そして、ついに3曲分の歌詞を仕上げたのです。他に曲名も数曲つけさせてもらいました。

 

3枚目のCDは、撮影・解説・デザイン、全て私がおこないました。

パソコン操作が得意な社員が他にいたので、「ここは○色で。3mm右に、1mm左へ」と具体的に指示し、全曲オリジナルのCDが遂に完成。

「聴く事でしか関われない立場」と思いこんでいた私に、素晴らしい機会を与えてくれたKさんはじめ親父バンドの皆さん、本当に有難う御座いました。心から感謝いたします。

 

今から15年ほど前の話でした。

 

話は元へ戻ります。そのKさんは、ベンチャーズ世代であり、ギター小僧です。

自宅で制作した「ギター・カラオケ」を使ったCDを何枚か焼いて頂きましたが、もちろん、ベンチャーズの曲が中心でした。

 

往年の「ギター小僧」にとっては「まずベンチャーズのコピーから」と言うのがお決まりのパターンだったようです。

 

ベンチャーズの曲の中で何が一番好きか…。

代表曲が多い中、これは大変難しい質問でありますが、あえて選ぶとしたら「10番街の殺人」でしょうか。

この曲はベンチャーズのオリジナルだと思っていたのですが、「オン・ユア・トゥ―ズ」と言うミュージカルの中の曲だそうです。

オリジナルはベンチャーズと全く曲調が違いますので、興味噁ある方は聴き比べると面白いかも知れません。

ベンチャーズの歴史は古く、半世紀+10年にも及びます。

当然のことながらメンバーの交代(死亡等)など、既にオリジナル・メンバーがいないとの話もあります(詳細の確認はしていませんが)。

しかし、多くのミュージシャン達からリスペクトを受け、未だに素人のコーピー・バンドが各地に存在する。そのサウンドはまさに永遠と言えると思います

 

ベンチャーズは全曲が「洋楽スタンダード」と言っても過言ではないと思います。

と言うか存在自体が「洋楽スタンダード」でしょう。

 

私の場合、持病(高齢者なので、色々ガタが来ています)の関係で、予定を立てての行動が難しい現実もあり、事前にチケットを購入する勇気が中々起きません。

確かに観に行くチャンスの多い「ザ・ベンチャーズ」

そのチャンスを生かし切れなかった残念な私

 

恐らく、本物を見ることが無いまま私の音楽人生(聴く専門だが)は終わるのだろうと思います。

 

と、残念な結論が出たところで、今回の話はこの辺でお開きに…。

ジイ様がレコードとCDについて思うこと

こんにちは、make me smileです。

 

今回はレコード(アナログ)CD(デジタル)について、思いついたままに書いてみます。

 

私はレコードで育った世代ですし、青春真っただ中はレコードカセット・テープの時代でした。

 

レコード店からレコードが消え、CDに入れ替わった時のショックと言ったらそれはもう、筆舌に尽くし難いとはあの時の事だったかも知れません。

 

極端に言うと、「俺はこれからどうすればイイんだ」みたいなものです。

 

CDを買っても再生する機械がありません。まずそこから始めなければなりません。

 

中身の音楽以外にアートとして魅力があったジャケットが小さく縮小され、「ジャケ買い」と言うレコードファンにとって一つの重要な買い方がなくなるであろう一抹の寂しさ…。

 

今でこそ何の不安もなくCDを買っていますが、しばらくはレコード店にも行かなかった覚えがあります。

 

さて、レコードの時代は現物に対する所有欲や、恐らく周囲の人間が持っていないだろうと勝手に思った自己満足や優越感など、個人差はありますが、「持っている、いない」が音楽好きにとっての重要な物差しであったような気がします。

 

レコード盤やジャケットの取り扱いについても、まるで宝物でも触るように扱い、人によっては指紋やゴミの付着を恐れ白い手袋を着用した人もいました。

 

CDと違い、盤面上の目に見えないようなゴミやチリ、傷は再生に大きく影響します。

「プチ、パチ」の雑音、針飛びなどしたものなら、もう目の前真っ暗

 

私は聴く度にベルベット性のレコードクリーナーで盤面を拭いたり、静電気防止スプレーを吹きかけるなどのメンテナンスを行って、盤面には直接触れないように細心の注意を払っていました。

 

今考えると、音楽を聴く行為はそれなりに私にとって「神聖」なものだったのかなと思います。

しかし、CDは中古での購入やレンタル、そして音楽データの入手が容易になり、所有欲は薄れてきます。

価格、保有と言う壁は簡単にクリア出来るからです。

レコードの様に所有すること自体に、さほどの意味はありません。

 

多少の傷や汚れは再生に影響もなく、ケースの破損は新品に取り替えれば済むことです。

 

音源の複製も容易であり、その音源を再生する媒体もたくさんあります。

データで保有していれば、パソコン本体はもちろん、CD、USBなど様々なメディアで再生することが可能です。

レコードの時代、再生と言えばカセットテープしか考えられませんでした。

 

レコード(LP)はCDに比べてジャケット自体が大きく、それ自体をアートとして捉える事ができました。

 

CDを額に入れて壁に飾りたいと思う人など、今はほとんど存在しないと思いますが、レコードの時代はそれがありました。

 

ジャケット自体に壁に掛けておきたいほどの価値や素晴らしさがありました。

 

ジャケットの写真を撮っているのは誰か、イラストを描いているのは誰か、そして誰のデザインであるのか…。

ジャケットで有名な写真家やイラストレータが大勢いました。

もちろんレコードの音楽本体には価値がありますが、そのジャケット自体にも話題やアートとしての付加価値がありました。

 

残念ですが、「音楽CD」と言う媒体は、昔のレコードに比べ「芸術面での価値は低い」と言う事でしょうか。

「不特定多数に、早く、安く提供する」を求めると、このようなことになるんですね。

 

デジタルというもの、著作物としての意義は薄くなる、価値が下がると言う事でしょうか。

 

偏見かも知れませんが、商いとして考えた場合デジタルにとってアナログ的技術は商売の敵ですし、この世から抹殺したいモノなのかも知れません。

 

 

人間の手で大事にされてきた技術や特殊な技能は、どんどんデジタル化、機械化される方向へ向かっていきます。

 

「安く、早く」を求める我々消費者も恩恵を受けますし、またそれを望んでいます。

 

「時代の変遷」と言ってしまえば確かにそうなのかも知れませんが、手の込んだ仕事をする「職人」や、仕事にプライドと責任を持つ「職人気質」と言う言葉がこの世からなくなってしまいそうな気がします。

 

「この世から完全に消えてなくなるだろう」と思っていたレコードは、数こそ圧倒的に少なくなっていますが未だに発売されていますし、ターン・テーブルなどハード関係、レコード針やクリーナ類などまだ売られています。

 

特にレコード針につていては「世の中CDになっても、職人、頑張っているんだな」と、当時、音楽雑誌で読み、嬉しく感じたことを思い出しました。

 

私は一時、EP・LP合わせて1,000枚近くレコード所有していましたが、数年前にレコードを聴くためのハード関係も併せて処分(売却)してしまいました。

現在はシカゴを中心に5~60枚のレコードしか残っていませんし、もうレコードを聴くためにハードを揃えるための気力財力もありません。

 

レコード、それ自体は私の中で終了したコンテンツになっています。

 

しかし、今現在、CDを買うときの基準はやはり60年代終盤から80年代初頭にかけて、私が一番音楽に熱中していた時代に所有していたレコードの買い直しが多くなっています。

 

当時聞き逃したものの買い求めもあり、令和の時代であっても音楽に関しては完全に昭和です。だからこのブログも40年以上も前の昔話しか書けないのです。

音楽ファンを自認していながら、最近の音楽にはどうしようもなく疎い私です。

 

 

それでは、今回はこの辺でお開きと言う事で…。

 

 

謎の存在「アキライスクライスキ」円盤にさらわれた人の話

 

こんにちは、make me smeilです。

私は2年位前までブログをやっていました。

主なブログテーマは、ブラス・ロック・グループ「CHICAGO」を中心とした70年代の洋楽についてです。

 

その他には趣味・仕事・友人などについて、その時々自分の近況を含めながら思いついたことを書いていました。

振り返ってみると、やはり全体的に音楽がらみの話題が多かったような気がします。

 

 

始めてから5~6年の間、ほぼ1~2回のペースで書き続けたと思いますが、現在そのブログは実質閉鎖状態になっています。

理由は、度重なる入院や手術で間隔が広がった事、それが影響してか段々と根気・意欲が失せた事など色々ありますが、自分のブログなのに今は完全に放置したままなので、「こんな終わり方で良かったのか…」と後悔する事がある今日この頃です。

 

 

今般、娘夫婦が新規ブログを開設したことで、「読み手も変わるだろうから、昔のブログに手を加え、新しい記事にしてみたらいいんじゃない」と言われたので、記事を寄稿してみる事にしました。

 

 

音楽ネタ以外にも、私の体験談など読んでいても全く役に立たない、くだらない話題も提供してみたいと思っています。どうかお付き合いください。

 

 

 

 

 

皆さんは「仁頃事件」をご存知ですか?

仁頃事件とは「UFOにさらわれた北海道の農業青年」の話です。

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私が中学生の時の話です。地元の小さな会館で

「宇宙人にさらわれた、UFOに乗った」と言う「藤原さん」なる人物の体験談を当時の同級生と2人で聴きに行ったことがあります。

何度もメディアに登場していますし、話を直接聞いた事がある方なので、ここではイニシャルではなく「藤原さん」と実名で話をすすめます。

 

 

事件の概略はこうです。

 

 

1974年、北海道北見市仁頃で農業を営む藤原さんと言う青年が、突然「タコ型」の宇宙人に呼び出され、畑に浮かんでいた円盤に吸い込まれました。

 

その時は飛び降りて助かりましたが、その後、宇宙人とのテレパシーによる交信で円盤に乗船、木星まで行ってしまったそうです。木星に行った証拠として、衛星の石をもらったそうです。

 

 

私が記憶していることはこの程度ですが、詳細については、ネットで仁頃事件と検索してください。

(藤原さん直筆の、宇宙人や円盤について詳細に書かれた絵や、宇宙人の身分、藤原さんのその時点での活動や目的などについて、詳しく掲載されているブログがありました)

 

 

私はこのような話、UFOとか心霊とか、俗に言う「ムー的」な話題が好きな中学生でした。(墓場でキャンプをしたり、金縛りにあって喜んだり、若い頃は無茶苦茶な学生でした)

 

 

その講演会?では怪しげな後見人のような司会者と藤原さんが前に、確か全参加者の20人ほどがパイプ椅子に座ると言う実に質素な集会でした。

 

記憶をたどりますと、ホワイト・ボード?でまず司会者が事件のあらましを説明。その後、参加者から藤原さんへの質問コーナーだったと思います。

 

その中で藤原さんは『宇宙人の最高位(日本で言うと天皇陛下に該当するらしい)に「アキライスクライスキ」と言う意識体?が存在すると言う話をしたのです。

 

円盤の製造も、宇宙人の行動も全て「アキライスクライスキ」の指示によるものとの事。

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私は話の重要箇所と思える部分をメモしていたのを覚えています。

当然50年も前の事、当時のメモは残っていませんが、間違いなく藤原さんは「アキライスクライスキ」と言いましたし、ボードにも書いたはずです。

 

中学・高校とその話が出る度に、私は「アキライスクライスキ」の存在をその時々の友人に話しています。もちろん、女房や子どもたちにも「昔話」として話しています。

 

私の記憶とメモにあったのは、「アキライスクライスキ」と言う言葉です。

 

しかしこの事件の詳細を調べても、ネットで色々と検索しても「アキライスクライスキ」と言う文字は見つかりませんでした。

 

 

その他、参加者からは色々と質問が出ていましたが、内容は全く覚えていません。

ちなみに学生服を着た参加者は私と友人の2名のみ。

後は大人たちばかりだったと記憶しています。

メモばかり取っていた私も、一緒に行った友人も、質問はしませんでした。

 

 

 

 

私が社会人になって2~3年経った頃だと思います。

講演会から5~6年が経過していました。パチンコ店で藤原さんを2度ほど見かけました。

当時「仁頃事件の藤原さん」は私の中では有名人の一人でしたので、見間違えるはずはありません。「仁頃事件の藤原さんがパチンコをしていた」と、すぐに友人たちに話をしたのですから。

ただ、私の住んでいる市と藤原さんの住んでいた市は車で3時間ほど離れており、通常日帰りはしない距離だったのが気にかかりました。

 

 

藤原さんは人のよさそうな、素朴な雰囲気を持った人で、大勢の人を騙すような悪人には見えませんでした。

何度かTVにも出ていたようですが、その業界?では決して脚光を浴びたわけではありません。

 

彼の、そしてご家族のその後の人生はどうなったのでしょう。

 

 

 

 

ヤフーで検索しても「アキライスクライスキ」と言う謎の言葉(文字)を使っているのは、日本人(恐らく世界中)では私だけでしょう。

検索してみてください。私しかいません。

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今から50年位前の思い出話です。

それでは今回の話、この辺でお開きと言う事で…。

 

 

 

 

 

 

 

キャロル・キングの「君は友だち」とトワ・エ・モワの「友達ならば」

こんにちは、make me smeilです。

色々な音楽を聴いていますと「何となく似ている曲」って結構あるものです。

音楽的にどこがどのように似ているか、具体的な説明はほとんどできず、ただ「雰囲気が似ている」なんて、あやふやで主観的な言い方しかできなかったりして…。

 

 

刑事ドラマなら「それはあなたの想像ですよね。証拠はあるんですか?証拠は…」

 

 

コード進行による証拠、音符による証拠など、具体的な酷似性を何一つ立証できるわけでもないのに(する気もないですが…)、雰囲気が似ている、何となくパクリの臭いがするなんてイチャモンを付けられても困りますよね。

 

 

まあ今回のブログテーマであり、あくまでも話のネタの一つであると言う事でどうかご勘弁ください。

 

 

 

有名曲、ヒット曲には印象的なフレーズってありますが、

それが完全なパクリであればちょっと問題なのかもしれません。

 

 

そっくりそのままイントロが使われたのが、私の好きなスティーリー・ダン「リキの電話番号」です。

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原曲はジャズの名曲「SONG FOR MY FATHER」、ホレス・シルヴァーの代表曲です。「リキの電話番号」では、「SONG FOR…」のイントロのピアノのリフがそっくりそのまま再現され、それは何の違和感もないまま曲の一部として消化されています。

 

ホレス・シルヴァーの方が先に作っているので、スティーリー・ダンの完全な「パクリ」には違いないのですが、堂々とパクって大ヒット。

 

この曲は、原曲に対する「リスペクト」とも言えるでしょう。

 

既に、世界中が認めた曲になっているんですから。

 

ちなみに、盗作された当の本人(ホレス・シルヴァー)がなんと言っているかは知りませんが…。

 

 

 

 

以前大ヒットした「奇跡の地球」という曲があります。

サザン桑田佳祐が作詞・作曲し、ミスチル桜井和寿とデュエットした曲です。

私がこの歌を初めて聴いた時、どこかで聞いた曲だなと思いました。

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それは、当時発売されていた私の大好きなシカゴのクリスマス・アルバム「シカゴ25」の中にありました。

 

一般的にはあまり知られていない歌だと思いますが、古くからイギリスに伝わるクリスマス・ソングに「GOD REST YE MERRY,GENTLEMAN/邦題 ともによろこびすごせ」があります。

 

「奇跡の地球」はこの曲に似ています。歌の導入部から似ています。

どこが似ているかと言えば「雰囲気が似ている」しか言いようがありません。

 

 

言葉は悪いですが「パクったんじゃないか」と思いました笑

 

しかしその後、何年経ってもインターネット等どこにも私と同様の感想を書き込んでいる人はおらず、「こんな風に感じたの、俺だけなのかな…」と我が耳、我が感性を疑ったりしましたけど……。

 

 

そのうちブログテーマになるかもしれませんが、私は「クリスマス・ソング」が好きで、年に2~3枚は新しいアルバムを入手し、11月位からクリスマス・ソングを中心に、12月25日まで聴き続けます。毎年このスタイルを続けてから、10年以上にはなると思います。

 

 

本題は、昔の曲になります。

 

「君の友だち」と言う曲を聞いたことがあるでしょうか。

 

元々はキャロル・キングと言う有名な女性シンガーの曲で、作られてから30人以上の歌手がカヴァーをしている超有名な楽曲です。オリジナルはピアノをメインとして、淡々と歌い上げられている歌で、決して壮大でドラマチックな曲ではありません。

 

しかし、その歌詞の内容と言えば深い物があると思います。

ただ漠然と聞き流せない、考えさせられる内容です。

 

歌い手の性別によって、聴き手の気持ちは変わりますが、詩の主人公を男性としてとらえるか、女性としてとらえるか。

 

詩の中の相手は男性なのか、女性なのか。そして友情ととらえていいのか、いや愛情なのか。

 

問うて行けば行くほど、奥の深さを感じます。

 

ある意味、崇高。

ある意味、一方的で偏執的。

 

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本家、キャロル・キングの歌唱は、アルバム「つづれおり」の中で聴く事が出来ますが、私が持っているのは、シングルカットされ大ヒットした「ジェイムス・テーラー盤」です。

 

 

著作権の問題で歌詞の全文を詳細に説明しません。ここでは要約して紹介します。

 

落ち込んで苦しい時

思いやりが欲しい時

何もかもうまくいかない時

目を閉じて私の事を思い出して

すぐあなたの所へ行くわ

暗い夜でさえ明るくしてあげるわ

ただ私の名前を呼べばいいの

あなたに会いに行くわ

たとえ冬でも 春でも 夏でも そして秋でも

呼びさえすればいいの

私はそこにいるわ

あなたには友達がいる

 

「君の友だち」はこんな内容で歌われます。

 

そして、この「君の友だち」「何となく雰囲気が似ている」どころか、

洋盤「君の友だち」に対し「邦版」はこの曲ではないかと思われる曲があります。

 

それが「トワ・エ・モワ」が歌う「友達ならば」です。

 

「トワ・エ・モワ」と言えば、札幌冬季オリンピックのテーマ「虹と雪のバラード」、デビューヒットの「或る日突然」「空よ」「誰もいない海」などのヒットでお馴染みだったデュオです。

 

 

真面目で清潔感溢れるイメージで、NHKあたりが好んで歌番組に出演させるお二人です。

「友達ならば」は1972年にスマッシュ・ヒット(大ヒットではない)した曲。

 

何が似ているのか、私には音楽の技術面から分析した説明はできません。

 

 

ただ歌詞の論旨

言わんとするところが

「君の友だち」と全く同じです。

 

 

「私はあなたの友だち。私は味方。私を呼んで。すぐに飛んで行こう」

 

 

歌詞は山上路夫

一部だけですが、歌詞を紹介します。

 

もしも涙が止まらない時は

いつも私がいることを思い出して

生きることがつらい朝がきたら

すぐに呼んでよ

あなたの元へ私は急いでいくでしょう

二人は友達なら

すぐに飛んで行こう

世界に風が吹き荒れ

明日が消えても

あなたと生きて行こう

いつも いつも いつも

 

 

作曲・編曲は川口真です。

 

「君の友だち」、「友達ならば」、両曲とも素晴らしい曲です。

ブログ上で聴き比べていただけないのが残念ですが、YOUTUBEにありまあすのでそちらで聴いてください。

 

同じような感想をお持ちの方が、インターネットに書き込みしていないかどうか探してみたところ、18年前に「5ちゃんねる」へ書き込んでいる方がいました。

 

 

「友達ならば」すごく好きです。でも歌詞はユーガッタフレンズのパクリですね。

※「ユーガッタフレンズ」とは「君の友だち」の英語タイトルです。

 

 

という書き込みがありました。

 

少なくとも、メロディにパクった箇所がある訳ではありませんし、歌詞の中にも真似た箇所がある訳ではありません。

 

英語を意訳すると近い所があるかもしれませんが…。

 

どちらの曲も、取り上げたテーマは「友達」です。

 

究極の友情

無償の友情

を形にするとこのようになるのでしょうか。

 

近い気持ちがあったとしても、相手が重荷に感じてしまうかもしれません。

いざ言葉に出して伝えるには、ちょっと躊躇してしまう文言かもしれませんね。

 

 

あなたの人生において

このように思える「友達」がいましたか?

 

 

あくまでも「歌の世界の出来事」という」解釈で良いんでしょうね。

 

 

それでは、この辺で今回はお開きと言う事で…。

 

 

 

 

超懐かしのハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ

こんにちは、make me smeilです。

 

さて今日は「ハジレコ」の話です。

「ハジレコ」とは、私が初めて買った思い出のレコードの事。

 

恥ずかしいレコードの事ではありません。

 

私のハジレコであるとともに、その後洋楽にハマったキッカケでもある

ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズについてあれこれ書いてみようと思います。

 

 

約50年にわたりブラス・ロックの「CHICAGO」を崇め奉って来た私ではありますが、思い起こせば私の洋楽原点は、「ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ」のDon't Pull Your Love(恋のかけひき)との出会いに始まりました。

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初めて買ったLPはもちろん「シカゴ」ですが、初めて買った洋楽のEPレコードはイントロが印象的な恋のかけひきでした。

 

確か中2の時、親に買ってもらった1,000円位のタバコサイズのAMラジオ(「クラウン」と言うメーカーだったような気がする…)で、夢中になって深夜放送を聴き始めた頃、毎日必ずと言っていいほど流れてきたのが「恋のかけひき」や「シェリーに口づけ」などのポップスでした。

 

歌詞の意味はよく分からなくても、そのメロディやリズム、そして英語の響きがとてもカッコよく、私はどんどん魅了されて行きました。

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「ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ」は、ダニー・ハミルトン、ジョー・フランクキャロロ、トミー・レイノルズの3人からなるロス出身のポップ・グループです。

 

70年代初頭、スリー・ドッグ・ナイトやグラスルーツ等と共に

ダウンヒル・サウンドと呼ばれた「ダンヒル・レーベル」の代表格でした。

 

代表曲には、1971年に全米4位のスマッシュ・ヒットとなった

Don't Pull Your Love(恋のかけひき)

Fallin' in Love(フォーリン・イン・ラヴ)

等があります。

 

ちなみに全米1位の「Fallin' in Love(フォーリン・イン・ラヴ)」について。

一応名曲ではありますが、私は特別好きな曲ではありません。ですから音源など一切所有していません。

 

1972年、トミー・レイノルズが脱退しアラン・デニソンが加入。グループ名は新たに「ハミルトン、ジョー・フランク&デニスン」となり、プレイボーイ・レコードから再始動。1976年には「Love And Conversation/愛の会話」を制作しました。

 

このアルバムは、当時行きつけのレコードショップで発見し、迷わず買いました。

 

ジェイ・グレイドン

エド・グリーン

デヴィット・ハンゲイト

リー・リトナー

などがバックアップし、ストリングスを多用したモダンかつゴージャスなアレンジのアルバムになっています。

 

買った当初は夢中になって聴きました。と言うか、現在でもよく聴いています。

 

 

今回この記事を書くにあたり、彼らについて調べてみたところ驚くべき事実が判明しました(調べてみるものですね)。

 

ギタリストでありグループのリード・ボーカル、そしてリーダーだった「ダニー・ハミルトン」についてです。

 

彼は、あの「ベンチャーズ」の弟分として自らが結成し活動していたギター・インスト・バンド「ザ・T・ボーンズ」の出身だそうで、ベンチャーズの代名詞とも言える超有名曲「テケテケテ、キュッキュッ」でお馴染みのダイヤモンド・ヘッドの作者だと言う衝撃の事実

 

これはまさに青天の霹靂でした。

早速、家にあるベンチャーズのCDを聴きながら感慨にふけっております……。

 

 

 

その後1980年にバンドは解散。

1994年12月23日、残念ながらダニー・ハミルトンはロサンゼルスにて副腎皮質機能亢進(クッシング病)により享年48歳と言う若さで死去しています。

 

「ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ」と言うバンドは跡形もなく消えてしまいました。

 

 

 

虎は死んで皮を残し

人は死んで名を残す

 

と言いますが

 

私にとって

ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズの存在は

ミュージシャンは死んで音(曲)を残す

 

と言うところでしょうか。

 

 

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20年ほど前になりますが、輸入盤CDで彼らのベスト・アルバムを入手しました。

このアナログ盤(LP)は、私が高校生の時に発売されていたらしく……

当時は買いそびれてしまい長い間探していたアルバムでした。

 

聴くほどに、あの懐かしい70年代初期の「黄金のポップス時代」が蘇ります。

そしてラスト・ナンバー明日に架ける橋/S&G君の友達/C・キングを見事に繋げたメドレーで締めくくられます。

 

またこれが雰囲気良いんだな~。

 

 

初めて買ったという思い出

思い入れが強いのでしょうか

とにかく好きな曲であり、好きな声です。

「自分がもし歌手なら(あり得ないが…)こんな声で歌いたい」と思うのは「ダニー・ハミルトン」の声質です。

 

 

時々、AmazonのCDサイトやデジタル・ミュージックを検索し、今でも彼らの曲を入手する事があります。もちろん価格と相談したうえでの話ですが……。

 

 

彼らを含め、当時よく聞いた70年代初期のポップスは私の洋楽の原点であり

特に「ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ」は

私にとって忘れる事の出来ないアーティストになっています。

 

 

 

それでは、今回はこの辺でお開きと言う事で…。

 

 

 

 

 

エンゲルベルト・フンパーディンクとカラオケ

こんにちは、make me smileです。

 

今回はタイトルの通り、2本立てで行きたいと思います。

まず1本目のお題。例によって古い話です。と言うか「古い人物」の話です。

 

エンゲルベルト・フンパーディンク」をご存じでしょうか。

 

「一体誰?」と思う方もいらっしゃると思いますが、その昔、音楽業界で一世を風靡した「シンガー」であり「エンターテイナー」です。

60代・70代、高齢で音楽好きの方ならご存知かと思います。

 

手元にある、1968年発売(古すぎ)のシングル・レコード盤(古すぎ)「ラスト・ワルツ」(古すぎ)の解説によると、彼は1963年生まれとなっていますので、御年84歳の「完全な爺様」になる訳です。

 

 

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初めて彼の存在を知ったのは確か中学生だったかな…(記憶が相当あやふや)。今から50年ほど前になるでしょうか。

 

TVで毎週土曜の午後11時から(やはりあやふや)「トム・ジョーンズ&エンゲルベルト・フンパーディンクショー」なる30分番組がありました。

「トム・ジョーンズ」は知っていましたが、(ヒット曲「ラブ・ミー・トゥナイト」や「思い出のグリーン・グラス」で)、「エンゲルベルト・フンパーディンク」は全く聞いたことのない名前でした。

 

『ややこしい長い名前のオッサン』程度の認識で、番組を毎週見ていたのですが、その歌声やパフォーマンスは徐々に私の音楽心を魅了していったのです。

 

トム・ジョーンズに勝るとも劣らない圧倒的な歌唱力、その華麗なダンス・パフォーマンスには圧倒され、ある意味「憧れ」すら感じました。

 

もし僕が歌手になったとしたら、

あんな声であんな風に歌いたいなあ…

 

もちろん、今でもそんな気持ちです。

 

ちなみに「憧れの声質」には、もう一人のアーティストがいます。

そのアーティストについては、改めて別の機会にお話しする事にします。

 

 

 

その昔、私がまだ現役バリバリのサラリーマンだった頃、恐れ多くもカラオケで「ラスト・ワルツ」、「いそしぎ」、「太陽は燃えている」など、彼のヒット曲を歌ってしまいました。

恥ずかしさのかけらもなく、すっかりその気になっていい気分で歌ったものです笑。

 

私は、高校生の時から現在に至るまで、彼のアルバムやカセット・テープ、そして時代がレコードからCDに変わればCDと、結構買い集めています。

 

数年前には廉価版のライブDVDを入手しました。

50~60代の時のライブらしく、その表情には程良い年輪が感じられます。

 

にもかかわらず

初老にも関わらず軽やかに踏む華麗なステップと

昔と変わらぬ声量

そして心をくすぐる「ベルベット・ボイス」

もはや永遠です

 

 

 

シナトラ、プレスリーは言うまでもないビッグスターであり、誰もが知るところ。

もちろん彼らも好きなアーティストだということには間違いないのですが、私にとって『ややこしい名のオッサン』は完全に格別で、私の中では彼を超えるアーティストはいません。

 

 

先日、YOUTUBEで恐らく80歳に近いであろう彼の動画を観ました。

全盛期に比べると、当然衰えは隠せません」。昔とは違う、完全な「爺様」。

 

でも彼の様な「ジェントルで、エネルギッシュなエンターテイナー」は今後も現れることは無いでしょう…2度と…

 

 

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多少、カラオケの話が出たところで2つ目の話題に移ることにします。

 

私が中高の時に夢中になって聴いていたのは、もちろん圧倒的に洋楽が多かったのですが、中学生の時「内山田洋とクールファイブ」にはまった時期がありました。

 

 

多分、私の母親の趣味だと思いますが、我が家には「クールファイブ」の2枚組の実況録音盤がありました。

 

今は「ライブ盤」と言うのでしょうが、当時はそのような呼び方は一般的ではありませんでした。

 

会場で録音され、レコードになったもの→実況録音盤

コンサート→実演

 

と呼ばれていました(今それを言ったら恐らく笑われますね)。

 

私はそれを結構頻繁に聴いていたため、司会者の曲紹介やメンバーのトーク、次に何を喋るかまで完全コピーして覚えていたような気がします(まさに自己満…)。

 

その影響でクールファイブ初期のヒット曲は全て「前川清のモノマネ風」に口ずさむことができましたし、社会人となりカラオケに行っても「困った時のクールファイブ」でした。昔の事なので接待が多かったのですが、上司から歌うように言われても選曲に悩む事もなく、客を待たす事もなく、おまけに司会者よろしく実況録音で覚えた「歌の紹介」まで付けて歌ったものです。

これは母に感謝かもしれません。

 

 

結局、私自ら購入したクールファイブの音源は20年ほど前、30曲近く収録されているカセット・テープだけでした。

4~5年前にベスト盤のCDをレンタルした事があり、それは今でも年1~2回は聴きます。

 

私が社会人になった時は、ちょうどカラオケが流行り始めた頃とじきを同じくしています。

まず「8トラ」と呼ばれたカラオケ・システムでした。

ピンとこない方がいるかもしれませんが、分厚い巨大な「8トラック」のテープを「ガシャッ」と入れます。

カセット・テープではありませんよ。

曲数も限られていたように思います。

 

この8トラックの再生装置は我が家にもありました。

ギターのミニ・アンプほどあったような記憶。結構デカかったかな。

 

その後、レーザー・ディスクやカラオケ屋さんが運営する今のシステム「リモコンによるカラオケ」が導入されます。

 

スナックや飲み屋で歌う時には、聴きたくもない他人の下手な歌も聞かなければなりません。オマケに歌の終了時には、心にもない拍手までして……。

 

今でこそ気の合った仲間同士の「ボックス」や「一人カラオケ」など、心行くまで歌うことが出来ます。

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最近TVでカラオケの採点方式(音程やビブラートなどの点数による評価)を利用した、素人の集まった「カラオケ選手権」のような番組をよく観ます。

 

稀にプロが出演する回もあるようですが、私にとっては「悲しくて残念な番組」でしかありません。

 

司会の境正章が「さあ、得点は…何点、何点」と言う番組です(女房が好きで観ています)。

誰もが自由に歌えるシステムが出来上がった世の中です。

素人を出演させ、カラオケの点数で勝敗を競わせる。

審査員の様な芸能人達が素人の歌に「うまい、感動した」と目を潤ませる…。

 

私には「素人の歌合戦。安いお手軽な番組だな」と、最後まで観たことはありません。

某公共放送の「のど自慢」の方が数段マシです。

 

点数では歌に甲乙を付けられません。

当然、番組の制作者もそれは分かっている事。

 

素人同士が競い合い、機械の点数で優劣を決定する。

歌でプロ歌手に優劣を付ける訳にはいかない。営業的にも問題が生じる。

 しかし素人同士だとその心配はない。素人なので真剣にやってくれるしリアクションも期待できるだろう。映像的にも面白い。

 

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素人メインの番組です。恐らく出演料など経費的にも安く済むでしょうし、プロ同士では成立しない企画だと思います。

 

私が思うに

本当の歌とは

本当の歌手とは

決して機械や点数で計れる物ではない

と確信しています。

 

あくまでも個人の見解ですので「観たい人は観る、観たくない人は観ない」で良いと思います。

 

カラオケがらみの話題を2題書きましたが、今回はこの辺でお開きです。