柿の種を拾い集めるように

料理と音楽、たまに科学

謎の存在「アキライスクライスキ」円盤にさらわれた人の話/父はかく語りき

~伊勢太郎の父はかく語りきシリーズvol.15~

 

 

 

こんにちは、make me smeilです。

私は2年位前までブログをやっていました。

主なブログテーマは、ブラス・ロック・グループ「CHICAGO」を中心とした70年代の洋楽についてです。

 

その他には趣味・仕事・友人などについて、その時々自分の近況を含めながら思いついたことを書いていました。

振り返ってみると、やはり全体的に音楽がらみの話題が多かったような気がします。

 

 

始めてから5~6年の間、ほぼ1~2回のペースで書き続けたと思いますが、現在そのブログは実質閉鎖状態になっています。

理由は、度重なる入院や手術で間隔が広がった事、それが影響してか段々と根気・意欲が失せた事など色々ありますが、自分のブログなのに今は完全に放置したままなので、「こんな終わり方で良かったのか…」と後悔する事がある今日この頃です。

 

 

今般、娘夫婦が新規ブログを開設したことで、「読み手も変わるだろうから、昔のブログに手を加え、新しい記事にしてみたらいいんじゃない」と言われたので、記事を寄稿してみる事にしました。

 

 

音楽ネタ以外にも、私の体験談など読んでいても全く役に立たない、くだらない話題も提供してみたいと思っています。どうかお付き合いください。

 

 

 

 

 

皆さんは「仁頃事件」をご存知ですか?

仁頃事件とは「UFOにさらわれた北海道の農業青年」の話です。

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私が中学生の時の話です。地元の小さな会館で

「宇宙人にさらわれた、UFOに乗った」と言う「藤原さん」なる人物の体験談を当時の同級生と2人で聴きに行ったことがあります。

何度もメディアに登場していますし、話を直接聞いた事がある方なので、ここではイニシャルではなく「藤原さん」と実名で話をすすめます。

 

 

事件の概略はこうです。

 

 

1974年、北海道北見市仁頃で農業を営む藤原さんと言う青年が、突然「タコ型」の宇宙人に呼び出され、畑に浮かんでいた円盤に吸い込まれました。

 

その時は飛び降りて助かりましたが、その後、宇宙人とのテレパシーによる交信で円盤に乗船、木星まで行ってしまったそうです。木星に行った証拠として、衛星の石をもらったそうです。

 

 

私が記憶していることはこの程度ですが、詳細については、ネットで仁頃事件と検索してください。

(藤原さん直筆の、宇宙人や円盤について詳細に書かれた絵や、宇宙人の身分、藤原さんのその時点での活動や目的などについて、詳しく掲載されているブログがありました)

 

 

私はこのような話、UFOとか心霊とか、俗に言う「ムー的」な話題が好きな中学生でした。(墓場でキャンプをしたり、金縛りにあって喜んだり、若い頃は無茶苦茶な学生でした)

 

 

その講演会?では怪しげな後見人のような司会者と藤原さんが前に、確か全参加者の20人ほどがパイプ椅子に座ると言う実に質素な集会でした。

 

記憶をたどりますと、ホワイト・ボード?でまず司会者が事件のあらましを説明。その後、参加者から藤原さんへの質問コーナーだったと思います。

 

その中で藤原さんは『宇宙人の最高位(日本で言うと天皇陛下に該当するらしい)に「アキライスクライスキ」と言う意識体?が存在すると言う話をしたのです。

 

円盤の製造も、宇宙人の行動も全て「アキライスクライスキ」の指示によるものとの事。

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私は話の重要箇所と思える部分をメモしていたのを覚えています。

当然50年も前の事、当時のメモは残っていませんが、間違いなく藤原さんは「アキライスクライスキ」と言いましたし、ボードにも書いたはずです。

 

中学・高校とその話が出る度に、私は「アキライスクライスキ」の存在をその時々の友人に話しています。もちろん、女房や子どもたちにも「昔話」として話しています。

 

私の記憶とメモにあったのは、「アキライスクライスキ」と言う言葉です。

 

しかしこの事件の詳細を調べても、ネットで色々と検索しても「アキライスクライスキ」と言う文字は見つかりませんでした。

 

 

その他、参加者からは色々と質問が出ていましたが、内容は全く覚えていません。

ちなみに学生服を着た参加者は私と友人の2名のみ。

後は大人たちばかりだったと記憶しています。

メモばかり取っていた私も、一緒に行った友人も、質問はしませんでした。

 

 

 

 

私が社会人になって2~3年経った頃だと思います。

講演会から5~6年が経過していました。パチンコ店で藤原さんを2度ほど見かけました。

当時「仁頃事件の藤原さん」は私の中では有名人の一人でしたので、見間違えるはずはありません。「仁頃事件の藤原さんがパチンコをしていた」と、すぐに友人たちに話をしたのですから。

ただ、私の住んでいる市と藤原さんの住んでいた市は車で3時間ほど離れており、通常日帰りはしない距離だったのが気にかかりました。

 

 

藤原さんは人のよさそうな、素朴な雰囲気を持った人で、大勢の人を騙すような悪人には見えませんでした。

何度かTVにも出ていたようですが、その業界?では決して脚光を浴びたわけではありません。

 

彼の、そしてご家族のその後の人生はどうなったのでしょう。

 

 

 

 

ヤフーで検索しても「アキライスクライスキ」と言う謎の言葉(文字)を使っているのは、日本人(恐らく世界中)では私だけでしょう。

検索してみてください。私しかいません。

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今から50年位前の思い出話です。

それでは今回の話、この辺でお開きと言う事で…。

 

 

 

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※伊勢太郎の父はかく語りきシリーズは不定期の投稿となります。

 

 

 

キャロル・キングの「君は友だち」とトワ・エ・モワの「友達ならば」/父はかく語りき

~伊勢太郎の父はかく語りきシリーズvol.14~

 

 

 

こんにちは、make me smeilです。

色々な音楽を聴いていますと「何となく似ている曲」って結構あるものです。

音楽的にどこがどのように似ているか、具体的な説明はほとんどできず、ただ「雰囲気が似ている」なんて、あやふやで主観的な言い方しかできなかったりして…。

 

 

刑事ドラマなら「それはあなたの想像ですよね。証拠はあるんですか?証拠は…」

 

 

コード進行による証拠、音符による証拠など、具体的な酷似性を何一つ立証できるわけでもないのに(する気もないですが…)、雰囲気が似ている、何となくパクリの臭いがするなんてイチャモンを付けられても困りますよね。

 

 

まあ今回のブログテーマであり、あくまでも話のネタの一つであると言う事でどうかご勘弁ください。

 

 

 

有名曲、ヒット曲には印象的なフレーズってありますが、

それが完全なパクリであればちょっと問題なのかもしれません。

 

 

そっくりそのままイントロが使われたのが、私の好きなスティーリー・ダン「リキの電話番号」です。

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原曲はジャズの名曲「SONG FOR MY FATHER」、ホレス・シルヴァーの代表曲です。「リキの電話番号」では、「SONG FOR…」のイントロのピアノのリフがそっくりそのまま再現され、それは何の違和感もないまま曲の一部として消化されています。

 

ホレス・シルヴァーの方が先に作っているので、スティーリー・ダンの完全な「パクリ」には違いないのですが、堂々とパクって大ヒット。

 

この曲は、原曲に対する「リスペクト」とも言えるでしょう。

 

既に、世界中が認めた曲になっているんですから。

 

ちなみに、盗作された当の本人(ホレス・シルヴァー)がなんと言っているかは知りませんが…。

 

 

 

 

以前大ヒットした「奇跡の地球」という曲があります。

サザン桑田佳祐が作詞・作曲し、ミスチル桜井和寿とデュエットした曲です。

私がこの歌を初めて聴いた時、どこかで聞いた曲だなと思いました。

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それは、当時発売されていた私の大好きなシカゴのクリスマス・アルバム「シカゴ25」の中にありました。

 

一般的にはあまり知られていない歌だと思いますが、古くからイギリスに伝わるクリスマス・ソングに「GOD REST YE MERRY,GENTLEMAN/邦題 ともによろこびすごせ」があります。

 

「奇跡の地球」はこの曲に似ています。歌の導入部から似ています。

どこが似ているかと言えば「雰囲気が似ている」しか言いようがありません。

 

 

言葉は悪いですが「パクったんじゃないか」と思いました笑

 

しかしその後、何年経ってもインターネット等どこにも私と同様の感想を書き込んでいる人はおらず、「こんな風に感じたの、俺だけなのかな…」と我が耳、我が感性を疑ったりしましたけど……。

 

 

そのうちブログテーマになるかもしれませんが、私は「クリスマス・ソング」が好きで、年に2~3枚は新しいアルバムを入手し、11月位からクリスマス・ソングを中心に、12月25日まで聴き続けます。毎年このスタイルを続けてから、10年以上にはなると思います。

 

 

本題は、昔の曲になります。

 

「君の友だち」と言う曲を聞いたことがあるでしょうか。

 

元々はキャロル・キングと言う有名な女性シンガーの曲で、作られてから30人以上の歌手がカヴァーをしている超有名な楽曲です。オリジナルはピアノをメインとして、淡々と歌い上げられている歌で、決して壮大でドラマチックな曲ではありません。

 

しかし、その歌詞の内容と言えば深い物があると思います。

ただ漠然と聞き流せない、考えさせられる内容です。

 

歌い手の性別によって、聴き手の気持ちは変わりますが、詩の主人公を男性としてとらえるか、女性としてとらえるか。

 

詩の中の相手は男性なのか、女性なのか。そして友情ととらえていいのか、いや愛情なのか。

 

問うて行けば行くほど、奥の深さを感じます。

 

ある意味、崇高。

ある意味、一方的で偏執的。

 

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本家、キャロル・キングの歌唱は、アルバム「つづれおり」の中で聴く事が出来ますが、私が持っているのは、シングルカットされ大ヒットした「ジェイムス・テーラー盤」です。

 

 

著作権の問題で歌詞の全文を詳細に説明しません。ここでは要約して紹介します。

 

落ち込んで苦しい時

思いやりが欲しい時

何もかもうまくいかない時

目を閉じて私の事を思い出して

すぐあなたの所へ行くわ

暗い夜でさえ明るくしてあげるわ

ただ私の名前を呼べばいいの

あなたに会いに行くわ

たとえ冬でも 春でも 夏でも そして秋でも

呼びさえすればいいの

私はそこにいるわ

あなたには友達がいる

 

「君の友だち」はこんな内容で歌われます。

 

そして、この「君の友だち」「何となく雰囲気が似ている」どころか、

洋盤「君の友だち」に対し「邦版」はこの曲ではないかと思われる曲があります。

 

それが「トワ・エ・モワ」が歌う「友達ならば」です。

 

「トワ・エ・モワ」と言えば、札幌冬季オリンピックのテーマ「虹と雪のバラード」、デビューヒットの「或る日突然」「空よ」「誰もいない海」などのヒットでお馴染みだったデュオです。

 

 

真面目で清潔感溢れるイメージで、NHKあたりが好んで歌番組に出演させるお二人です。

「友達ならば」は1972年にスマッシュ・ヒット(大ヒットではない)した曲。

 

何が似ているのか、私には音楽の技術面から分析した説明はできません。

 

 

ただ歌詞の論旨

言わんとするところが

「君の友だち」と全く同じです。

 

 

「私はあなたの友だち。私は味方。私を呼んで。すぐに飛んで行こう」

 

 

歌詞は山上路夫

一部だけですが、歌詞を紹介します。

 

もしも涙が止まらない時は

いつも私がいることを思い出して

生きることがつらい朝がきたら

すぐに呼んでよ

あなたの元へ私は急いでいくでしょう

二人は友達なら

すぐに飛んで行こう

世界に風が吹き荒れ

明日が消えても

あなたと生きて行こう

いつも いつも いつも

 

 

作曲・編曲は川口真です。

 

「君の友だち」、「友達ならば」、両曲とも素晴らしい曲です。

ブログ上で聴き比べていただけないのが残念ですが、YOUTUBEにありまあすのでそちらで聴いてください。

 

同じような感想をお持ちの方が、インターネットに書き込みしていないかどうか探してみたところ、18年前に「5ちゃんねる」へ書き込んでいる方がいました。

 

 

「友達ならば」すごく好きです。でも歌詞はユーガッタフレンズのパクリですね。

※「ユーガッタフレンズ」とは「君の友だち」の英語タイトルです。

 

 

という書き込みがありました。

 

少なくとも、メロディにパクった箇所がある訳ではありませんし、歌詞の中にも真似た箇所がある訳ではありません。

 

英語を意訳すると近い所があるかもしれませんが…。

 

どちらの曲も、取り上げたテーマは「友達」です。

 

究極の友情

無償の友情

を形にするとこのようになるのでしょうか。

 

近い気持ちがあったとしても、相手が重荷に感じてしまうかもしれません。

いざ言葉に出して伝えるには、ちょっと躊躇してしまう文言かもしれませんね。

 

 

あなたの人生において

このように思える「友達」がいましたか?

 

 

あくまでも「歌の世界の出来事」という」解釈で良いんでしょうね。

 

 

それでは、この辺で今回はお開きと言う事で…。

 

 

 

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※伊勢太郎の父はかく語りきシリーズは不定期の投稿となります。

 

 

びっくりするほどの久々の投稿です

こんにちは。うんヶ月単位で御無沙汰しております。

子どもが産まれてなんとか時間を捻出しながら書いておったブログですが、子供が動き回るようになってから全然書けなくなってしまい

 

びっくりするほど時間が経過してしまいました。

 

世相も変わり、いつまでこんな時代が続くんだろうなとボンヤリ思っています。

コロナ渦中に子どもが産まれ、市で行われている育児関連の集いも全てなくなり

必要な買い物以外へは極力外出を避けています。

 

散歩へ連れて行く事はありますが、ほんとその程度で

基本は窓開けて音楽かけて親子で踊ってるという感じ。

 

伴侶や友人達が医療従事者と言う事もあって、自分の軽率な行動が原因で迷惑をかけるわけにも行きませんし、

 

まあもともとインドアだったのでストレスもたまらないっちゃたまらない。

 

 

ですが、どうしてもストレスがたまった時は

ケーキを作るに限ります。

 

という訳で

【育児中の習作】

 

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娘のハーフバースデー

本人食べられないので親が爆食

普通の生デコです。

 

 

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伴侶の誕生日

5月の誕生日を何故か9月に行うw

リンゴとキャラメル、さつまいものチーズタルトです。

リンゴの飾りは飴にしたんですけど、もっと薄く切ってもっと煮詰めればよかったと後悔( ^ω^)・・・

キャラメルのシャンティーとリンゴのソテーは相性良かったです。

さつまいもこしてペースト作ったんですが、もう少し綺麗な黄色を期待していました。

 

味は美味しかったのですが見た目がぼやけた感じ。

 

 

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ボルガライスと高崎パスタ

どうしても食べたくて作りましたが、ボルガライスのデミに娘が手を突っ込み

しばし大騒ぎ。全然熱くはなかったのですが、娘の手が赤くなりました。

アレルギー反応だろうか?と病院へ行くかうろたえていたのですが、30分後には手の赤みは消えておりました…。反省の日々です。

 

 

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知人の誕生日

キャラメルとチョコレートのミルフィーユ。

味見はしていませんがw

美味しかったと言ってくれたのでその通り受け取っておきます。

 

 

 

と言う具合でなんとかかんとかやっておりました。

またモソモソと更新したいと考えております。

超懐かしのハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ/父はかく語り

~伊勢太郎の父はかく語りきシリーズvol.13~

 

 

 

こんにちは、make me smeilです。

 

さて今日は「ハジレコ」の話です。

「ハジレコ」とは、私が初めて買った思い出のレコードの事。

 

恥ずかしいレコードの事ではありません。

 

私のハジレコであるとともに、その後洋楽にハマったキッカケでもある

ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズについてあれこれ書いてみようと思います。

 

 

約50年にわたりブラス・ロックの「CHICAGO」を崇め奉って来た私ではありますが、思い起こせば私の洋楽原点は、「ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ」のDon't Pull Your Love(恋のかけひき)との出会いに始まりました。

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初めて買ったLPはもちろん「シカゴ」ですが、初めて買った洋楽のEPレコードはイントロが印象的な恋のかけひきでした。

 

確か中2の時、親に買ってもらった1,000円位のタバコサイズのAMラジオ(「クラウン」と言うメーカーだったような気がする…)で、夢中になって深夜放送を聴き始めた頃、毎日必ずと言っていいほど流れてきたのが「恋のかけひき」や「シェリーに口づけ」などのポップスでした。

 

歌詞の意味はよく分からなくても、そのメロディやリズム、そして英語の響きがとてもカッコよく、私はどんどん魅了されて行きました。

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「ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ」は、ダニー・ハミルトン、ジョー・フランクキャロロ、トミー・レイノルズの3人からなるロス出身のポップ・グループです。

 

70年代初頭、スリー・ドッグ・ナイトやグラスルーツ等と共に

ダウンヒル・サウンドと呼ばれた「ダンヒル・レーベル」の代表格でした。

 

代表曲には、1971年に全米4位のスマッシュ・ヒットとなった

Don't Pull Your Love(恋のかけひき)

Fallin' in Love(フォーリン・イン・ラヴ)

等があります。

 

ちなみに全米1位の「Fallin' in Love(フォーリン・イン・ラヴ)」について。

一応名曲ではありますが、私は特別好きな曲ではありません。ですから音源など一切所有していません。

 

1972年、トミー・レイノルズが脱退しアラン・デニソンが加入。グループ名は新たに「ハミルトン、ジョー・フランク&デニスン」となり、プレイボーイ・レコードから再始動。1976年には「Love And Conversation/愛の会話」を制作しました。

 

このアルバムは、当時行きつけのレコードショップで発見し、迷わず買いました。

 

ジェイ・グレイドン

エド・グリーン

デヴィット・ハンゲイト

リー・リトナー

などがバックアップし、ストリングスを多用したモダンかつゴージャスなアレンジのアルバムになっています。

 

買った当初は夢中になって聴きました。と言うか、現在でもよく聴いています。

 

 

今回この記事を書くにあたり、彼らについて調べてみたところ驚くべき事実が判明しました(調べてみるものですね)。

 

ギタリストでありグループのリード・ボーカル、そしてリーダーだった「ダニー・ハミルトン」についてです。

 

彼は、あの「ベンチャーズ」の弟分として自らが結成し活動していたギター・インスト・バンド「ザ・T・ボーンズ」の出身だそうで、ベンチャーズの代名詞とも言える超有名曲「テケテケテ、キュッキュッ」でお馴染みのダイヤモンド・ヘッドの作者だと言う衝撃の事実

 

これはまさに青天の霹靂でした。

早速、家にあるベンチャーズのCDを聴きながら感慨にふけっております……。

 

 

 

その後1980年にバンドは解散。

1994年12月23日、残念ながらダニー・ハミルトンはロサンゼルスにて副腎皮質機能亢進(クッシング病)により享年48歳と言う若さで死去しています。

 

「ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ」と言うバンドは跡形もなく消えてしまいました。

 

 

 

虎は死んで皮を残し

人は死んで名を残す

 

と言いますが

 

私にとって

ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズの存在は

ミュージシャンは死んで音(曲)を残す

 

と言うところでしょうか。

 

 

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20年ほど前になりますが、輸入盤CDで彼らのベスト・アルバムを入手しました。

このアナログ盤(LP)は、私が高校生の時に発売されていたらしく……

当時は買いそびれてしまい長い間探していたアルバムでした。

 

聴くほどに、あの懐かしい70年代初期の「黄金のポップス時代」が蘇ります。

そしてラスト・ナンバー明日に架ける橋/S&G君の友達/C・キングを見事に繋げたメドレーで締めくくられます。

 

またこれが雰囲気良いんだな~。

 

 

初めて買ったという思い出

思い入れが強いのでしょうか

とにかく好きな曲であり、好きな声です。

「自分がもし歌手なら(あり得ないが…)こんな声で歌いたい」と思うのは「ダニー・ハミルトン」の声質です。

 

 

時々、AmazonのCDサイトやデジタル・ミュージックを検索し、今でも彼らの曲を入手する事があります。もちろん価格と相談したうえでの話ですが……。

 

 

彼らを含め、当時よく聞いた70年代初期のポップスは私の洋楽の原点であり

特に「ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ」は

私にとって忘れる事の出来ないアーティストになっています。

 

 

 

それでは、今回はこの辺でお開きと言う事で…。

 

 

 

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※伊勢太郎の父はかく語りきシリーズは不定期の投稿となります。

 

 

 

エンゲルベルト・フンパーディンクとカラオケ/父はかく語りき

~伊勢太郎の父はかく語りきシリーズvol.12~

 

 

 

こんにちは、make me smileです。

 

今回はタイトルの通り、2本立てで行きたいと思います。

まず1本目のお題。例によって古い話です。と言うか「古い人物」の話です。

 

エンゲルベルト・フンパーディンク」をご存じでしょうか。

 

「一体誰?」と思う方もいらっしゃると思いますが、その昔、音楽業界で一世を風靡した「シンガー」であり「エンターテイナー」です。

60代・70代、高齢で音楽好きの方ならご存知かと思います。

 

手元にある、1968年発売(古すぎ)のシングル・レコード盤(古すぎ)「ラスト・ワルツ」(古すぎ)の解説によると、彼は1963年生まれとなっていますので、御年84歳の「完全な爺様」になる訳です。

 

 

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初めて彼の存在を知ったのは確か中学生だったかな…(記憶が相当あやふや)。今から50年ほど前になるでしょうか。

 

TVで毎週土曜の午後11時から(やはりあやふや)「トム・ジョーンズ&エンゲルベルト・フンパーディンクショー」なる30分番組がありました。

「トム・ジョーンズ」は知っていましたが、(ヒット曲「ラブ・ミー・トゥナイト」や「思い出のグリーン・グラス」で)、「エンゲルベルト・フンパーディンク」は全く聞いたことのない名前でした。

 

『ややこしい長い名前のオッサン』程度の認識で、番組を毎週見ていたのですが、その歌声やパフォーマンスは徐々に私の音楽心を魅了していったのです。

 

トム・ジョーンズに勝るとも劣らない圧倒的な歌唱力、その華麗なダンス・パフォーマンスには圧倒され、ある意味「憧れ」すら感じました。

 

もし僕が歌手になったとしたら、

あんな声であんな風に歌いたいなあ…

 

もちろん、今でもそんな気持ちです。

 

ちなみに「憧れの声質」には、もう一人のアーティストがいます。

そのアーティストについては、改めて別の機会にお話しする事にします。

 

 

 

その昔、私がまだ現役バリバリのサラリーマンだった頃、恐れ多くもカラオケで「ラスト・ワルツ」、「いそしぎ」、「太陽は燃えている」など、彼のヒット曲を歌ってしまいました。

恥ずかしさのかけらもなく、すっかりその気になっていい気分で歌ったものです笑。

 

私は、高校生の時から現在に至るまで、彼のアルバムやカセット・テープ、そして時代がレコードからCDに変わればCDと、結構買い集めています。

 

数年前には廉価版のライブDVDを入手しました。

50~60代の時のライブらしく、その表情には程良い年輪が感じられます。

 

にもかかわらず

初老にも関わらず軽やかに踏む華麗なステップと

昔と変わらぬ声量

そして心をくすぐる「ベルベット・ボイス」

もはや永遠です

 

 

 

シナトラ、プレスリーは言うまでもないビッグスターであり、誰もが知るところ。

もちろん彼らも好きなアーティストだということには間違いないのですが、私にとって『ややこしい名のオッサン』は完全に格別で、私の中では彼を超えるアーティストはいません。

 

 

先日、YOUTUBEで恐らく80歳に近いであろう彼の動画を観ました。

全盛期に比べると、当然衰えは隠せません」。昔とは違う、完全な「爺様」。

 

でも彼の様な「ジェントルで、エネルギッシュなエンターテイナー」は今後も現れることは無いでしょう…2度と…

 

 

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多少、カラオケの話が出たところで2つ目の話題に移ることにします。

 

私が中高の時に夢中になって聴いていたのは、もちろん圧倒的に洋楽が多かったのですが、中学生の時「内山田洋とクールファイブ」にはまった時期がありました。

 

 

多分、私の母親の趣味だと思いますが、我が家には「クールファイブ」の2枚組の実況録音盤がありました。

 

今は「ライブ盤」と言うのでしょうが、当時はそのような呼び方は一般的ではありませんでした。

 

会場で録音され、レコードになったもの→実況録音盤

コンサート→実演

 

と呼ばれていました(今それを言ったら恐らく笑われますね)。

 

私はそれを結構頻繁に聴いていたため、司会者の曲紹介やメンバーのトーク、次に何を喋るかまで完全コピーして覚えていたような気がします(まさに自己満…)。

 

その影響でクールファイブ初期のヒット曲は全て「前川清のモノマネ風」に口ずさむことができましたし、社会人となりカラオケに行っても「困った時のクールファイブ」でした。昔の事なので接待が多かったのですが、上司から歌うように言われても選曲に悩む事もなく、客を待たす事もなく、おまけに司会者よろしく実況録音で覚えた「歌の紹介」まで付けて歌ったものです。

これは母に感謝かもしれません。

 

 

結局、私自ら購入したクールファイブの音源は20年ほど前、30曲近く収録されているカセット・テープだけでした。

4~5年前にベスト盤のCDをレンタルした事があり、それは今でも年1~2回は聴きます。

 

私が社会人になった時は、ちょうどカラオケが流行り始めた頃とじきを同じくしています。

まず「8トラ」と呼ばれたカラオケ・システムでした。

ピンとこない方がいるかもしれませんが、分厚い巨大な「8トラック」のテープを「ガシャッ」と入れます。

カセット・テープではありませんよ。

曲数も限られていたように思います。

 

この8トラックの再生装置は我が家にもありました。

ギターのミニ・アンプほどあったような記憶。結構デカかったかな。

 

その後、レーザー・ディスクやカラオケ屋さんが運営する今のシステム「リモコンによるカラオケ」が導入されます。

 

スナックや飲み屋で歌う時には、聴きたくもない他人の下手な歌も聞かなければなりません。オマケに歌の終了時には、心にもない拍手までして……。

 

今でこそ気の合った仲間同士の「ボックス」や「一人カラオケ」など、心行くまで歌うことが出来ます。

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最近TVでカラオケの採点方式(音程やビブラートなどの点数による評価)を利用した、素人の集まった「カラオケ選手権」のような番組をよく観ます。

 

稀にプロが出演する回もあるようですが、私にとっては「悲しくて残念な番組」でしかありません。

 

司会の境正章が「さあ、得点は…何点、何点」と言う番組です(女房が好きで観ています)。

誰もが自由に歌えるシステムが出来上がった世の中です。

素人を出演させ、カラオケの点数で勝敗を競わせる。

審査員の様な芸能人達が素人の歌に「うまい、感動した」と目を潤ませる…。

 

私には「素人の歌合戦。安いお手軽な番組だな」と、最後まで観たことはありません。

某公共放送の「のど自慢」の方が数段マシです。

 

点数では歌に甲乙を付けられません。

当然、番組の制作者もそれは分かっている事。

 

素人同士が競い合い、機械の点数で優劣を決定する。

歌でプロ歌手に優劣を付ける訳にはいかない。営業的にも問題が生じる。

 しかし素人同士だとその心配はない。素人なので真剣にやってくれるしリアクションも期待できるだろう。映像的にも面白い。

 

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素人メインの番組です。恐らく出演料など経費的にも安く済むでしょうし、プロ同士では成立しない企画だと思います。

 

私が思うに

本当の歌とは

本当の歌手とは

決して機械や点数で計れる物ではない

と確信しています。

 

あくまでも個人の見解ですので「観たい人は観る、観たくない人は観ない」で良いと思います。

 

カラオケがらみの話題を2題書きましたが、今回はこの辺でお開きです。

 

 

 

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※伊勢太郎の父はかく語りきシリーズは不定期の投稿となります。

「白い恋人」のCMソング『シルバー・スイート・ハート』/父はかく語りき

~伊勢太郎の父はかく語りきシリーズvol.11~

 

 

 

こんにちは、make me smileです。今から40年ほど前の昔話です。

 

 

空港の売店でよく目にする北海道銘菓に、石屋製菓の『白い恋人』と言う名前のお菓子があります。

 

ホワイト・チョコを挟んだ5㎝四方のクッキーです。

 

今ではCMソングなど流さなくとも一定の売り上げはあるのでしょうが、私が20代半ばの頃には盛んにTVでコマーシャルが流れていました。

 

記憶が正しければ、北海道銘菓『白い恋人』がTVで初めて流したCMソングが、今回取り上げた「シルバー・スイート・ハート」だったと思います。

 

スキー場をバックに繰り広げられ、10秒にも満たない「スキー場を背景にした男女の子芝居」ですが、曲のサビが流れ、最後に『シロイコイビト~』と歌って締めます。

そのサビ部分が、私のツボに見事にはまったのでした。

 

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1979年に発売された『シルバー・スイート・ハート』、歌っているのは山本寛太郎です。

 

当時は、レコード盤を探して買うまでの執念も所有欲もなく、そのまま時は流れていきました。

CMも新しいシリーズに変わり、「あんなCM(曲)あったなあ」と私の思い出す程度。

私の中ではそっと幕を引く程度でした。

 

 

それから何年か後、社会人になった私が高校の同級生宅に遊びに行った時の話です。

 

 

友達が「何か聴きたいのがあったら持って行っていいよ」と、ほとんど聴かなくなったレコードを数枚出してきました。

どちらかと言うと、沢田研二やアリスなどの歌謡曲やフォーク、石野真子や河合奈保子(懐かしいでしょう)などのアイドル歌手が守備範囲の友人であり、私の音楽的趣味とはそれほどマッチしませんでしたが一応チェックだけはさせてもらいました。

 

 

しかし

 

あったのです。聴きたかったあの懐かしい曲が……!

 

 

タイトルだけではわからなかったかもしれません。おまけに知らない歌手名でした。

しかしジャケットの右下隅には小さく『白い恋人』と記載があり、歌詞カードを読むと何となく聞き覚えのあるような歌詞が…。多分、恐らく、間違いなくあの歌でしょう。

 

友達は「いいよ、もう聴かないからあげるよ」と言ってくれました。

心の中で「お宝ゲット‼」とガッツポーズ…。

 

 

私は家に帰って、初めてこの曲を最初から最後まで聴く事が出来たのです。

 

 

もちろんサビの部分を中心に馴染みのある曲ではありましたが、改めて歌詞を読み、全篇通してメロディを聴いてみると、これがなかなかの優れモノ。

完全な物語、ストーリーになっています。

 

 

片思いの切ない女心、ゲレンデに咲く淡い恋の花…

ああ、いい歌…

 

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あまり詳しく書くと著作法に触れますので、歌詞の要点だけお話します。

 

 

雪に心奪われ シュプールを描くあなた

 

  春になる前にセーターを編んであげるわ

 

    私の愛を編んであげるわ

 

      ああ、あなたの心を包む糸になりたい

 

 

まあ、大体こんな内容の詩です。

私は生まれも育ちも北海道。生粋の「道産子」です。

しかし、スキーは2回しか経験(それも高校の授業)がありません。

 

でも情景は浮かびます…。

当時はきっとあちらこちらのスキー場でこの曲が流れていたんだろうな。

 

 

いや

俺がスキー場の係員なら

間違いなく流すな

 

 

山本寛太郎…詳しくは分かりませんが、この曲は作詞・作曲とも本人で、シンガー・ソングライターだったようです。

 

その後、音楽業界からは完全に足を洗って、現在はフィッシング・ギア(ルアーなど)の開発や販売を行う会社の社長になっているそうです。

 

以前、レコードからCD(アナログ音源からデジタル)を作るコンポを持っていました。

この曲もデジタル化し、一応CDは作成してあります。

しかし、当時の録音技術の未熟さから、音圧が低く、今聴くと物足りません。

 

 

 

一 昨年末デジタル音源でこの曲を購入してみようと「amazommpデジタル・ミュージック」で検索しましたが、『倉橋ルイ』という女性歌手が歌っているのがあるだけでした。

 

倉橋バージョン、一応一部視聴して買ってはみたものの、テンポが遅すぎてオリジナルと程遠い。私は耐えられません。一度聴いただけですが、恐らく2度目はないでしょう。

 

Amazonの曲のレビューでは、「本当に失礼極まりない」内容を書いてしまいました。

 

 

世界中どこを探しても、正式にデジタル化された音源はないのですね。

現在オリジナルはYOUTUBEで聴く事(1番組のみ)ができます。

 

 

ちなみにレコードの歌詞カード面に「企画:(株)りぼん」「制作:(株)なかよしグループ」「山本寛太郎 問い合わせ先:(株)りぼん」と書いてありました。

 

確か「りぼん」って少女漫画雑誌でしょうかね。そういえば『なかよし』っていうのもあったような……。私の妹が小学生の時によく読んでいました。

 

 

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シルバー・スイート・ハート、この曲はイチCMソングとしての域を超え、あのおじさん泣かせの「木綿のハンカチーフ:太田裕美」に勝るとも劣らない名曲だと思います(太田裕美ファンと言う訳ではありませんが、完全に「木綿のハンカチーフ」の世代であり、この曲が最も好きな邦楽だからかもしれません)。

 

 

この曲『シルバー・スイート・ハート』、残念ながらヒットはしませんでした。

良い歌だからヒットする訳でもないし、ヒット曲が良い歌だと言えるわけでもない。

 

人それぞれ、琴線に触れる名曲があるのだ

それでいいのだ

 

と思います。

 

ちなみに、あの吉本興業が大阪土産に「面白い恋人」と言うネーミングで、お菓子を発売した事がありました。

その後裁判沙汰(原告は石屋製菓、被告はもちろん吉本興業)にもなりましたが、結局和解し、両社でコラボ商品を発売したようです。

 

 

それでは、今回の話はこの辺でお開きと言う事で…

 

 

 

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※伊勢太郎の父はかく語りきシリーズは不定期の投稿となります。

 

修学旅行とジェネシス、スティーリー・ダン/父はかく語りき

~伊勢太郎の父はかく語りvol.10~

 

 

こんにちは、make me smileです。

 

一見、何のつながりもないようなタイトルですが、これは

修学旅行から戻って来た日、ジェネシスとスティーリー・ダンのアルバムを買いに出かけた

と言うことです。

 

 

全てが「一日のズレ」でした。

実際、帰ってきたのは翌日、買ったのも翌日です。

何故そうなったのかお話します。

 

今から約45年前、高校の修学旅行へ行きました。

正しくは見学旅行だという物らしいのですが、それは60歳を過ぎて知りました。

正確な日時はもう記憶にありませんが1週間くらいの日程で京都・奈良方面へ行ったと思います。

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あの時代、まだ飛行機なんてとんでもない話で、津軽海峡は連絡船で渡り、青森からは寝台車で東京へ行きました。お金持ち私立は別として……。

 

行きか帰りに新幹線の窓から富士山を見た記憶があり、それが思い違いだったかどうかは今年の正月、高校の仲間との新年会で確認できました。

私の記憶はあっていたようです。

 

私の高校は商業高校で、一学年女子が200人に対して男子が20人の学校でした。旅行中に女子高に間違えられたこともあります。

話がそれますので詳しくは書きませんが、色々あって

男子全員半日の外出禁止

旅館の便所掃除の罰

を受けたなど、話題と思い出に事欠かない旅行でした。

 

追い打ちをかけるように帰りの列車が大幅に遅れ(ストの影響?)連絡船が一便ずれたため、予定より10時間以上も到着時刻が遅れる始末。

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地元駅に帰着後男子全員でステーキを食べる予定も、その後にレコードショップによる予定もすべてお流れ泣。

 

何せ夜の6時に着く予定が、翌朝の6時に着いたのですから…

 

帰りは鈍行の夜行列車でしたので、ほとんど寝ていませんでした。

とりあえず、家に帰って爆睡。その日の午後から一人でレコード屋に向かいました。

 

旅行の残金でレコードを買うことは旅行へ行く前から決めていました。

 

 

ジェネシスは音楽雑誌の書評で、スティーリー・ダンは旅行出発前、実際に聴いた上で決めた事です。

 

 

 

私が買う予定だったスティーリー・ダンの最新アルバムはプリッツェル・ロジックと言うタイトルのアルバムで、聴いたと言うのはシングルカットされた「リキの電話番号」です。

この曲を始めて聞いた時の情景は、何故か鮮明に覚えています。

 

 

ある日の夕方、西日の暖かい光を半開きのカーテンの外側から感じながら、ステレオのFMラジオから流れる音楽…。

印象的なイントロに始まるねちっこい個性的な歌声。

そしてサビを聴いた時に思いました。

 

あっ、欲しい。これ買わなくちゃ

 

 

 

 曲のタイトルを聴いた時、すぐ頭に浮かんだのは「力道山:リキドウザン」のロングタイツ姿(古すぎ…実は小学生の時から熱烈なプロレス・ファン。G・馬場さんとA・猪木、坂口征二の身体にペタペタ触りました。5回は観に行っています…)。

 

 「プリッツェル・ロジック」を手に入れた私は、家に帰って早速レコードに針を落とした訳ですが、このアルバムは今でも好きなアルバムです。

 

 捨て曲無しなので、何度でも通して聴きます。好盤です

 

この後に、セカンド、ファーストと遡ってアルバムを買いましたが、4枚目あたりからバンドは事実上崩壊します。

 

結成当初は6人いたメンバーも2人組デュオになって、有名なスタジオ・ミュージシャンの参加によるレコーディングとなります。

 

そして5枚目、「彩(エイジャ)」の大ヒットにより、スタジオ・レコーンディング専門の、妙に玄人に受ける特別な2人組として、音楽界で扱われるようになります。

 

私は4枚目以降、もちろん5枚目の「彩(エイジャ)」も買いませんでした。

ベスト盤を買い4枚目以降の主な楽曲を聴いてはいますが、ほとんど魅力を感じません。

私の中のスティーリー・ダンは3枚のアルバムで終了した過去のバンドとなっています。

 

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 同時に買ったのはジェネシスの「月影の騎士/セリング・イングランド・バイ・ザ・パウンドです。これは見事に期待に応えてくれたアルバムでした。

 

ジェネシスのの名前は知っていましたが、聴く機会がないまま時が経っていました。

何より、リード・ボーカルのピーター・ガブリエルが派手なメイクをしたり、キツネ?のお面をかぶっている写真を見ていたので、受けた印象はあまり良くないまま遠ざけていたところもありました。

 

ただやはり、音楽専門誌でジェネシスのこのアルバムが絶賛されていたので、ちょっと気になり聴いてみようかなと思い買うことにした訳です。

 

当時の私にとって「ミュージックライフ誌」が唯一洋楽アーティストの情報入手の材料だったので「写真を見たので遠ざけた」「書評が高評価になっていた」とか両極端です。良い・悪いを行ったり来たり

 

友人が持っていれば借りて聴くとか、ラジオなどで流れた音を聴く以外は「専門誌」の批評を読むとか、自分を信じ、身銭を切って買うしかない訳です。

 

 

 

聴いた順序、買った順序など、時系列の正しい記憶は欠落していますが、俗に言う「プログレ」(プログレッシブ・ロック)は高校の時に好きだったジャンルです。

 

キング・クリムゾン

ムーディー・ブルース

ピンク・フロイド

エマーソン・レイク&パーマー

バークレー・ジェイムス・ハーベスト

PFM

キャメル

キャラバン

ソフト・マシーン

ゴング等々…

 

随分色々なアーティストを聴きましたし、それぞれに思い出があります。

マニアックな所ではマクドナルド&ジャイルス

あまりにも穏やかで、途中で眠ってしまいました……。

 

ジェネシスはピーター・ガブリエルがボーカルで在籍していた頃が好きでした。

ガブリエル脱退後、フィル・コリンズがボーカルになりましたが、それと同時に聴く事はなくなりました。

 

確かその後に買ったジェネシスの2枚組「眩惑のブロードウェイ」だったと思いますが、レコードの帯に書いてあった言葉は、その後も何かの機会に何度か私的に使わせてもらいました。まだ覚えています。

 

ジェネシスの音楽を

精神の糧、肉体の肥やし

と表現した文言です。

 

 

名言だと思います。ジェネシスに限らず、まさに全ての音楽について言えるのではないでしょうか。

 

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音楽を聴いて

元気が出た

感動した

涙が出た

一緒に歌った

踊った…

 

 全てが、

人生、明日への糧(かて)であり、肥やしになること

間違いないと思います。

 

 

 

今はプログレをほとんど聴きません。聴いても、何か別の事をしながら、完全に流してBGM扱いです。

若い時は、きっと自分にはまだ明るい未来があり時間もあると思っていたのでしょう。

だからこそゆっくりと集中したレコードの聴き方が出来たのです。

 

しかし残念ながら、今の自分にはそんなに集中して音楽を聴くような余裕があるとは思っていません。

 

最近のCDの買い方を振り返ると

80年代は良くて前半まで

まず90年代以降のものは皆無です。

60年代終盤からと、最も多いのが70年代に出たアルバムです。

 

聴いたことがある昔の歌、古い歌。そしてじっくり聴いたことのないアルバムを改めて聴く。今一度脳裏に刻み込んでおきたい……。

だから昔の話しかできないのでしょう笑

 

 年相応の音楽の聴き方、楽しみ方はそれぞれあると思います。

 

私は聴く専門としての音楽人生を、これからも熱く送りたいと思っています。

 

 

話が大きくなりましたが、この辺でお開きに致します。

 

 

 

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※伊勢太郎の父はかく語りきシリーズは不定期の投稿となります。