柿の種を拾い集めるように

料理と音楽、たまに科学

謎の存在「アキライスクライスキ」円盤にさらわれた人の話/父はかく語りき

~伊勢太郎の父はかく語りきシリーズvol.15~

 

 

 

こんにちは、make me smeilです。

私は2年位前までブログをやっていました。

主なブログテーマは、ブラス・ロック・グループ「CHICAGO」を中心とした70年代の洋楽についてです。

 

その他には趣味・仕事・友人などについて、その時々自分の近況を含めながら思いついたことを書いていました。

振り返ってみると、やはり全体的に音楽がらみの話題が多かったような気がします。

 

 

始めてから5~6年の間、ほぼ1~2回のペースで書き続けたと思いますが、現在そのブログは実質閉鎖状態になっています。

理由は、度重なる入院や手術で間隔が広がった事、それが影響してか段々と根気・意欲が失せた事など色々ありますが、自分のブログなのに今は完全に放置したままなので、「こんな終わり方で良かったのか…」と後悔する事がある今日この頃です。

 

 

今般、娘夫婦が新規ブログを開設したことで、「読み手も変わるだろうから、昔のブログに手を加え、新しい記事にしてみたらいいんじゃない」と言われたので、記事を寄稿してみる事にしました。

 

 

音楽ネタ以外にも、私の体験談など読んでいても全く役に立たない、くだらない話題も提供してみたいと思っています。どうかお付き合いください。

 

 

 

 

 

皆さんは「仁頃事件」をご存知ですか?

仁頃事件とは「UFOにさらわれた北海道の農業青年」の話です。

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私が中学生の時の話です。地元の小さな会館で

「宇宙人にさらわれた、UFOに乗った」と言う「藤原さん」なる人物の体験談を当時の同級生と2人で聴きに行ったことがあります。

何度もメディアに登場していますし、話を直接聞いた事がある方なので、ここではイニシャルではなく「藤原さん」と実名で話をすすめます。

 

 

事件の概略はこうです。

 

 

1974年、北海道北見市仁頃で農業を営む藤原さんと言う青年が、突然「タコ型」の宇宙人に呼び出され、畑に浮かんでいた円盤に吸い込まれました。

 

その時は飛び降りて助かりましたが、その後、宇宙人とのテレパシーによる交信で円盤に乗船、木星まで行ってしまったそうです。木星に行った証拠として、衛星の石をもらったそうです。

 

 

私が記憶していることはこの程度ですが、詳細については、ネットで仁頃事件と検索してください。

(藤原さん直筆の、宇宙人や円盤について詳細に書かれた絵や、宇宙人の身分、藤原さんのその時点での活動や目的などについて、詳しく掲載されているブログがありました)

 

 

私はこのような話、UFOとか心霊とか、俗に言う「ムー的」な話題が好きな中学生でした。(墓場でキャンプをしたり、金縛りにあって喜んだり、若い頃は無茶苦茶な学生でした)

 

 

その講演会?では怪しげな後見人のような司会者と藤原さんが前に、確か全参加者の20人ほどがパイプ椅子に座ると言う実に質素な集会でした。

 

記憶をたどりますと、ホワイト・ボード?でまず司会者が事件のあらましを説明。その後、参加者から藤原さんへの質問コーナーだったと思います。

 

その中で藤原さんは『宇宙人の最高位(日本で言うと天皇陛下に該当するらしい)に「アキライスクライスキ」と言う意識体?が存在すると言う話をしたのです。

 

円盤の製造も、宇宙人の行動も全て「アキライスクライスキ」の指示によるものとの事。

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私は話の重要箇所と思える部分をメモしていたのを覚えています。

当然50年も前の事、当時のメモは残っていませんが、間違いなく藤原さんは「アキライスクライスキ」と言いましたし、ボードにも書いたはずです。

 

中学・高校とその話が出る度に、私は「アキライスクライスキ」の存在をその時々の友人に話しています。もちろん、女房や子どもたちにも「昔話」として話しています。

 

私の記憶とメモにあったのは、「アキライスクライスキ」と言う言葉です。

 

しかしこの事件の詳細を調べても、ネットで色々と検索しても「アキライスクライスキ」と言う文字は見つかりませんでした。

 

 

その他、参加者からは色々と質問が出ていましたが、内容は全く覚えていません。

ちなみに学生服を着た参加者は私と友人の2名のみ。

後は大人たちばかりだったと記憶しています。

メモばかり取っていた私も、一緒に行った友人も、質問はしませんでした。

 

 

 

 

私が社会人になって2~3年経った頃だと思います。

講演会から5~6年が経過していました。パチンコ店で藤原さんを2度ほど見かけました。

当時「仁頃事件の藤原さん」は私の中では有名人の一人でしたので、見間違えるはずはありません。「仁頃事件の藤原さんがパチンコをしていた」と、すぐに友人たちに話をしたのですから。

ただ、私の住んでいる市と藤原さんの住んでいた市は車で3時間ほど離れており、通常日帰りはしない距離だったのが気にかかりました。

 

 

藤原さんは人のよさそうな、素朴な雰囲気を持った人で、大勢の人を騙すような悪人には見えませんでした。

何度かTVにも出ていたようですが、その業界?では決して脚光を浴びたわけではありません。

 

彼の、そしてご家族のその後の人生はどうなったのでしょう。

 

 

 

 

ヤフーで検索しても「アキライスクライスキ」と言う謎の言葉(文字)を使っているのは、日本人(恐らく世界中)では私だけでしょう。

検索してみてください。私しかいません。

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今から50年位前の思い出話です。

それでは今回の話、この辺でお開きと言う事で…。

 

 

 

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※伊勢太郎の父はかく語りきシリーズは不定期の投稿となります。