Hot Streets

アラ古希のジジイが呟く音楽の話

私の好きな「CHICAGO」と言うバンドについて

こんにちは、make me smileです。

 

いきなりですが、私の好きなブラス・ロック・グループ「シカゴ」の話です。

その昔、シカゴと言えば「流血の日」がバンドの代名詞でした。

実際に起こったシカゴ民主党大会のシュプレヒコールを曲の中に取り入れ、シカゴは暫くの間、反戦・反体制バンドとしての印象を強くしていました。

 

そして新人としては異例の2枚組レコードで衝撃デビュー。続く2枚目、3枚目も2枚組。

4枚目に至っては何と「4枚組」のライブ盤を発売。

当時¥8,000近い高額の為、2分割して2枚組に、またそれでも高価で4枚を1枚に編集して発売するなど、同じ内容のライブ盤で3種類を作成するほど人気が高かったと言えます。

 

この「2枚組」デビューが評論家連中から「新人のくせに生意気」と思われ、「ロックミュージック殿堂入り」に、デビュー後50年もかかってしまう要因になったのではないか、と言われています。

あれだけの売り上げとヒット曲にも恵まれた、あのアメリカでのビッグネーム「シカゴ」が何故殿堂入りしていないのか。業界の7不思議とも言われていました。

セカンド・アルバム「23の誓い」の発売後、シングル・カットされた「長い夜」が大ヒット。シカゴと言えば「長い夜」と言われた時代になりました。

ひと昔前に流行った松山千春の歌ではありません。

現在のコンサートではエンディングとして使われる事が多く、やはりシカゴの代名詞としてグループもファンも認めるのでしょう。

 

その後、「サタディ・イン・ザ・パーク」「愛ある別れ」などビック・ヒットを積み重ねる訳です。

30年程前になりますが、久々に「素直になれなくて」と言うバラードが大ヒットをしました。

 

そして「素直になれなくて」を切っ掛けにして、多くの新しいファンが生まれた訳です。

 

ファンとしては大いに喜ぶところでしょう。

 

しかし、私は違います。そう思いませんでした

「シカゴって素敵なバラード・グループだね」ってか…。

「昔のシカゴはバラードが入っていない。ガッカリ」ってか…。

誰がどう思おうと構いませんが、プロデューサーに「デビット・フォスター」を迎えて作った「シカゴ16」。あの「素直になれなくて」の大ヒット…。

私にとって、それほど喜ばしい事では無かった

 

「デビット・フォスター」は名プロデューサーです。

彼はシカゴが売れる事を一番に考え、あえてメンバーの意見を無視したそうです(本人のインタビュー記事を読んで知りました)。

依頼されたプロデューサーの立場からすれば、当然の考え方でしょう。

売ることが目的なのですから…。

 

別に「デビット・フォスター」が嫌いな訳ではありませんし、彼の作ったグループ(エアプレイやスカイラーク)のアルバムは持っています。プロデューサーとしても評価しています。

 

しかし、私は納得出来なかった。

新しいファンの獲得に走った姿。その姿は私の目に悲しく映りました。

シカゴは「バラード・グループ」ではないのだよ。

「ロックン・ロール・ウィズ・ホーン」をコンセプトに集まったバンドなんだよ!!

 

この時代、シカゴのホーン3人衆は、シングル曲のために制作されたミュージック・ビデオや、日本のクチパク音楽番組に出演した時、本来の楽器の代わりに音の出ていないギターやキー・ボードをすまなそうに弾いていた。

売る為とは言え、私は悲しい思いをしました。

 

せっかく日本まで来てこれかい…

 

ここからしばらくの間、私にとっての「残念な暗黒の時代」の幕開けです。

 

ラッパ隊の3人も、ロバート・ラムも泣いていたと思います

「こんなのシカゴじゃない」と…(そのような発言を読んだ記憶がある)。

 

「ボイス・オブ・シカゴ」ともてはやされた、「ピーター・セテラ」の脱退もまずかった。

 

しばらくの間は「可愛さ余って憎さ100倍」ってやつでした。

ああ、私の『シカゴ』は一体何処へ行くのだろう…

ビル・チャンプリンの加入に全く異論はありません。

その後の活躍も見事だったし、何せ歌が上手かった。

デビット・フォスターがいなければ、チャンプリンの加入もなかったでしょう。

近年のビル・チャンプリンの脱退は残念にさえ思います。

 

そして、私はこう考えることにしました。

 

「音楽の傾向が変わった事、世間には大きな誤解を与えたかも知れない。しかし売れるためには仕方のない事。昔のヒット曲も沢山あるし、暗黒時代のヒット曲もあるし。コンサートの曲目には事欠かないし…」

 

実際にライブで演奏する曲の9割は、暗黒時代以前のヒット曲です。

 

暗黒時代やそれ以降の曲は1~2曲です。

彼らもスタッフも分かっているのでしょう。

「素直になれなくて」だけは、エンディングかアンコールで必ず演奏すようですが…。

 

シカゴを聴くようになって、はや50年。

中学時代、友達から来た手紙のあて名が「○○シカゴ様」となっていました。

配達の郵便局員からは「ふざけたあて名を書かないように、友達に伝えなさい」と怒られました。

 

50代の時には、シカゴのTシャツで歩きカナダから来たと言うシカゴ・ファンに(日本人でした)デパートで声を掛けられ、5分くらいでしたが立ち話をしました。

別れ際に「ちょっと触らせて下さい」と言われ、ロゴ・マークを触らせました。

 

いい年して、まだそんな事をしている私です。

一体いつまで続けるのでしょうか?

 

でも、昔ほど騒いでいる訳ではありません。

他人が何と言おうと、別にどうでもいいと思っています。

 

長年連れ添った女房と一緒で、もう離れる訳にはいかんのです。

 

ロゴには著作権があるため、ここでは掲載はしませんが、

コカ・コーラに似た「ロゴ・マーク」と共に、常に一緒にいたい‼

 

 

それでは、今回の話はこの辺でお開きと言う事で…