柿の種を拾い集めるように

料理と音楽、たまに科学

学生時代の貴重な音源・CHICAGOのJUMP FOR JOY/父はかく語りき

~伊勢太郎の父はかく語りきvol.6~

 

 

こんにちは、make me smileです。

大昔、今から47~8年近く前の事、古すぎて正確な事は覚えていません。

中3か高1の頃だと思います。

 

時間は午後7時半か8時頃に、NHKデューク・エリントンのバースデイ・コンサートが放映されました。

 

「デューク・エリントン」とはビッグバンド・ジャズの大御所で、代表曲に「A列車で行こう(Take The A-Train)」と言うジャズのスタンダード・ナンバーがあります。

今はもうこの世にいませんが、この時はまだ御存命だったのですね。

 

ロック界からはまだ若い「シカゴ」がゲストとして出演し、1曲だけ演奏しました。

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演奏した曲はシカゴのオリジナル曲ではなくJUMP FOR JOYと言う曲。

デューク・エリントンが作曲したミュージカル曲だそうです。

原曲はもちろんのこと、デューク・エリントン自体知らなかった私。

初めて聞く曲です。TVに向かって正座です。背筋を伸ばした正しい姿勢です。

 

 

 

ここで少し時間を割き、当時私達のような中高生の若年ファンの置かれた、昔の音楽事情についてお話しておきたいと思います。

 

私達のような若い音楽リスナーにとって、アーティストの動く姿を見ることは本当に貴重で大変なことでした。

 

外国ミュージシャンの姿と言えば、基本的にはレコードのジャケット以外にはありません(写っていればいいですが…)。

音楽雑誌の、その号に写真が掲載されていればファンとしてはラッキーだと思わなければなりません。

 

数週間に一度、深夜に30分程度の洋楽番組がありました。

開始時間や突然の中止などもあり、まだ学生だった私はほとんど見た記憶がありません。

一般家庭にビデオ・レコーダーが普及すつのはまだ後の話です。

 

 

とにかく

見逃したり

聞き逃したらアウト

 

たかが音楽、されど音楽

 

 

現在のように朝から晩まで、延々とミュージック・ビデオを流している音楽専門チャンネルがある訳でもなく、DVDがある訳でもなく、完全にイメージの世界・想像の世界…

 

もし、TV放映の情報を事前に入手でも出来ていれば、もう大変。

カレンダーに印をつけて初デートを待つウブな少年のような状態。

 

 

TV放映はもはやイベント

一大イベント

ドーム公演!!

(たかが外国ミュージシャンが出演しているTVですよ)

 

理解できますか?TVに向かって正座する気持ちが…。

 

私の記憶にある映像は、ピンク・フロイド、エマーソン・レイク&パーマー、そしてシカゴです。全てNHKのような気がします。

 

 

 

私が高校生の時のこと。初めて(私にとっては)シカゴの映像が30分枠?でTVで放映される日、内容は野外ライブ、スタジオ・ライブでした。

確か土曜夜の放映だったと思います。

事前に上方をつかんでいた私はその日を心待ちにし、恐らくウキウキしていたはずです。

 

しかし、当日学校へ行った私に驚愕の知らせが…(あの時代、週休2日などは無く土曜も授業でした)。

「同級生の父上が亡くなりました。お通夜は今夜です」

当時の私は学級委員長でしたので、クラスの代表として参列しなければなりません。

 

おまけに同級生の自宅は地方(田舎)です。

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まさか「今日TVにシカゴが出るんだ」と言う訳にはいきません。

そして「今日会えなかったら、今度いつ会えるかわからないのさ」と言う訳にもいきません。

 

もちろん、シカゴは諦めて、お通夜に行きました。

 

どんな気持ちだったか、人道上の問題もありこれ以上は書けません。

 

外国ミュージシャンを好きになるファンになると言う事はこう言うことでした。

見逃せばアウトの厳しい時代

 

しかし数年後(4~5年は経っていたような気がします)、この番組は再放送されました。

そしてその再放送は何事もなく、無事観ることが出来ています。

 

 

さて「JUMP FOR JOY」を聴いた後、私は例によって「シカゴが演奏した曲」と言うだけの理由で、レコード探しに出掛けました。

 

市内のレコード店全て(当時は7~8店あった)を回って、デューク・エリントンのアルバムは何枚か見つけました。しかしそのいずれのアルバムにも肝心の「JUMP FOR JOY」は収録されていませんでした。

 

結局「A列車で行こう」(探している間に代表曲だと知りました)が入っているライブ・アルバムを買い、それをもって「JUMP FOR JOY」探しの旅は一旦「無念のまま終了」したのです。

 

しかし20歳を過ぎた頃、何を思ったか再び「JUMP FOR JOY」を探しに行ったのです。

今思えば、恐らくジャズ専門のレコード店がオープンしたからだと思います。

私は1枚1枚チェックし、演奏者を問わず「JUMP FOR JOY」のタイトルを探し始めたのです。

 

そして出会ったのが「マーク・マーフィー:ミッドナイト・ムード」と言うジャズ・ボーカリストのアルバムでした。

1曲目に「「JUMP FOR JOY by Ellington/Webster」と書いてあります。

それ以外の曲は完全なオマケです。

 

家に戻ってさっそく聴きましたが、マーク・マーフィーの歌う「JUMP FOR JOY」はTVで観た「シカゴ」のそれとは程遠く、さしたる感動もないまま、繰り返し聴く事もありませんでした。

 

 

 

結局、私の好きだったのは「JUMP FOR JOY」と言う曲そのものではなく、シカゴ風にアレンジされ、シカゴが演奏した「JUMP FOR JOY」だった訳です。

その後、ジャズは随分と聴きましたが、シカゴの影響で「ビックバンド」に限られてしまいました。

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しかしあれから40年経過し「ビックバンド」に対する妙なこだわりもなくなりました。

今では多種多様なジャズ・アルバムを聴いています。

「マーク・マーフィー」についても何の違和感もなく聴く事が出来ますが、若い頃は無理だったようです。

 

 

 

話は「デューク・エリントンのバースデイ・コンサート」に戻りますが、親に買ってもらった小型のテープレコーダーをTVのイヤフォン・ジャックでつなぎ、シカゴの演奏シーンを録音しました。

それから40年後…モノラル録音なので音の状態は最悪ですが、とりあえず私の手元に残っています。

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※YOUTUBEで「シカゴのジャンプ・フォー・ジョイ」が聴けます。

 

若さ溢れる、ハツラツとした演奏です。

ガムを噛みながらのビートのベース・ライン、ブラス・アレンジと間奏、そしてテリー・カスの見事なギターソロ

 

今、観ても聴いても痺れます。

 

NHKで放映した時のナレーションは、音楽評論家:湯川れいこさんでした。

演奏後のナレーションは「緊張した面持ちでしたが、シカゴらしいイキのイイ演奏でした」と言うものです(ほぼ間違いないと思います)。

 

今回の話題はこの辺でお開きと致します。

 

 

 

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※伊勢太郎の父はかく語りきシリーズは、不定期の投稿となります。

 

 

 

 

私の宝物、遥かなる夏の陽/父はかく語りき

~伊勢太郎の父はかく語りきvol.5~

 

 

私の宝物、幻の一発曲…「遥かなる夏の陽」

 

こんにちは、make me smileです。

 

ブログを始めた理由は色々ありますが、その一つに、このバンドのこの曲について書き記してみたいと言うのがありました。

 

過去の私のブログで3回ほどの話題にしたことがありますが、

このバンドのこの曲とは

JAMESTOWN MASSACRE(ジェイムスタウン・マサカ)

/SUMMER SUN(遥かなる夏の陽)

のことです。

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この曲は、1972年10月にシングルとして発売されましたが、恐らく余程のマニアじゃないと知っている人はいないのではないかと思います。

 

一応「一発屋」として扱われていますが

本当に「一発屋だったのか?」

本当に「一発」当てたのか…

 

 

しかし、私にとってこの曲は45年以上経った今でも色褪せることのない大好きな曲であり、毎年夏の定番曲になっている宝物なのです。

 

 

そもそもこのグループ、70年代初期にシングル・レコードを3枚制作しただけです。

日本での発売はシングル1枚だけ、アルバムは発売していません。

 

過去には何枚かのオムニバス・アルバムに収録されたことがありますが、それすら現在は入手困難。アナログも市場には出回っていないようです。

 

 

まさに幻の一発屋の、幻の一発曲と言ってもいいでしょう。

 

 

以前、レコードからCDを作成できるコンボを持っていたので、すでにこの曲をデジタル化(CD)していました。しかし音圧が低く、私としては納得できる状態ではないため、新しい音源を入手したくてバタバタしていました。

 

しかし驚くべきことにamazonのデジタル・ミュージックサイトを検索すると、この曲がありました。買ったのは今年になってからですが、まさかあるとは思いませんでした。

 

 

この曲に出会ったきっかけは、中学2・3年の頃、当時私が入会していたシカゴ・ファンクラブの会報に載っていた曲の紹介の記事でした。

 

その記事を要約すると…

 

シカゴっぽい曲がある。イントロにトランペットが入り、歌声がロバート・ラムに似ている。JAMESTOWN WASSACRE:ジェイムスタウン・マサカと言う聞き慣れないバンドが歌っている。

 

こんな感じでした。

※ロバート・ラムとはシカゴのキーボード兼ボーカリストです。

 

私はすぐ通い慣れたレコード店に走りました。

 

何と!

あった

アンビリーバボー!

まさか入荷しているとは…

 

早速買って家で聴きましたが、これが当時中学生の私のツボにドンピシャ来てしまったのです。

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 イントロでは軽やかなトランペットが2フレーズほど出てきますが、なぜかその後一度も出て来る事はありませんでした。不思議…。

 

ボーカルは確かに当時のロバート・ラムに似ています。

 

 

そして極上の3分間。

 

ああ、まさにサマー・ポップ

実に楽しい

これぞバブルガム・サウンドの極致!!

 

悪く言えば「明るくて能天気。何も考えてな~い」

 

 

「アルバムは出てないのかな?」(制作してないんだよ…)

10年程前に知りましたが、7人構成でホーン担当が2人いました。

(立派な「ブラス・ロック・グループ」ではないか!!)

 

このバンドはシカゴを中心に活動していたようです。

その後メンバーの脱退等でグループ名をMariah(マライア)に改名。

「マライア」になってからはアルバムも出したようですが、国内での入手は困難。

 

そして「マライア」のプロデューサーだったジム・ピートリック(「ヴィークル」のヒットで有名なブラス・ロック・グループ、「アイズ・オブ・マーチ」のリーダー)がサバイバー(後に「Eyes Of Tiger」がヒット)の結成に動きます。

 

マライアの中心メンバー、フランク・サリバンとジェイムスタウン・マサカの初期に在籍したデイブ・ディックラーが「サバイバー」に参加。そしてマライアは解散。

 

「マライア」の残党は今でも活動し、「SUMMER SUN:遥かなる夏の陽」をレパートリーとして演奏しているとか…。

YOUTUBEで観ることは出来ますが、「マライア」の残党なのかどうか、それはわかりません。

※「アイズ・オブ・マーチ」も「ヴィークル」もアルバムを買うほど好きですし、「ジム・ピートリック」もCDやDVDを買って聴いています。

 

そもそも「ブラス・ロック・グループ(今や死語)」自体、中学の時から大好きで、それ中心に色々なレコードを買っていました。

 

 

 

それにしても、情報によるとランキング90位(何のランキングかは不明)程度のこの曲が何故一部マニアの中で人気が高いのでしょうか。

事の発端は、山下達郎のラジオ番組で彼が推薦したとか、流したとか…そのリスナー達がレコードを探したが、既に簡単に手に入る状況では無かったとか……。

 

年単位の相当な時間と労力を有して、この歌を探し始め、ようやく入手したのは「見本盤だった」と言うマニアもいたらしいのですが、その努力わかります

このレコードについては、そんな話が語られているようです。

 

 

「JAMESTOWN MASSACRE」って、印象的でカッコのイイ名前だなと思いましたし、著作権の都合でジャケットを披露できないのが残念ですが、西部劇風のマンガチックなイラストがポップで私は好きでした。

しかし、そのバンド名について調べてみると興味深い事も分かってきます。

 

JAMESTOWN」は地域の名前、「 MASSACRE」は訳すると「虐殺」。

「JAMESTOWN MASSACRE」とは文字通り「ジェイムスタウンの虐殺」のことだそう。

これは1622年3月22日の聖金曜日、バージニア植民地のジェームズタウンの白人入植者が原住民インディアンに襲撃され、男・女・子供合わせて347名が犠牲になった実際の事件であると言うことが分かりました。

※詳細は「ウィキペディア(Wikipedia)」などを見て下さい。

 

 

グループ名と、そのバブルガム風のポップで明るいサウンドの間には「天と地ほどの物凄い違和感」がある事を知りました。「JAMESTOWN MASSACRE」にはそんな言われもあるそうです。

 

 

 

話は大きく変わります。

その昔TVのイヤフォン・ジャックからカセット・テレコに録音していた「ソウル・トレイン」。ある時スカイラークと名乗るグループが歌ったワイルド・フラワーと言う曲が流れました。素晴らしい曲でどうしても入手したいと思いました。

 

今から45年ほど前です。

レコード店を何か所も回ったものの、レコードを見つけることが出来ません。

あの時代、高校生だった私には入手する方法が思いつかず「大都会じゃなきゃ入手は難しいんだな」と諦めました。

 

しかし偶然にもそのアルバムは、音楽好きの従兄弟が持っていたのです。

それが判明したのは、散々探し始めてから約15年後でした。その時は従兄弟からレコードを借り、カセット・テープに録音しました。

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我が手中に目的のCDを入手することが出来たのは、レコードを借りてから20年ほど経ってから……曲を聴いてから約35年後の事です。ようやくネット通販でゲット出来ました。

 

好きな曲ってこう言うもんじゃないでしょうか。

 

このバンド「スカイラーク」にはあのデビット・フォスターが在籍しています。

 

 

 

幸せなことに

私は「遥かなる夏の陽」の現物を持っています。

コンポが健在な時に、既にCD化は行いましたし、今年はamazonで新しい音源も入手しました。部屋の中でも車の中でも、いつでもどこでもこの歌を聴く事が出来ます。

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少しずつ暑くなってきた今日この頃。

 

 

今年も「遥かなる夏の陽」の季節がやって来ました。

 

それでは、今回の「私は現物持っていると、35年かけて手に入れた曲」の話はお開きと言う事で…。

 

 

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※伊勢太郎の父はかく語りシリーズは、不定期の投稿となります。

 

 

 

 

 

 

M・ポルナレフのバックでこんな人達が…/父はかく語り

~伊勢太郎の父はかく語りきvol.4~

 

 

こんにちはmake me smileです。

 

長年、色んな音楽、色んなアーティストの音楽を聴いていますと、思いがけない「出会い」が生まれることがあります。

出会いと言ってもロマンチックな話ではありません。

 

意外な真実と言う話ですので悪しからず…。

 

 

私が買った2枚目のシングル・レコードは

シェリーに口づけ/ミッシェル・ポルナレフ

 

何処へ行ってしまったのか、今は手元にありませんが…。

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ちなみに初めて買ったのは恋のかけひき/ハミルトン・ジョー・フランク&レイノルズでした。

 

3枚目はスーパースター/カーペンターズ。ここまでは覚えています。

 

当時は中学2年生で洋楽を聴き始めた頃です。ロック・ポップスの全盛期でした。

まだアルバム購入までは手と金が回らず、とにかくヒット中のシングル・レコードを買いあさっていた事が懐かしく思い出されます。

 

先日妹夫婦が我が家を訪れ、確か3年程前に貸してあった「ミッシェル・ポルナレフのベスト・アルバム(3枚組フランス盤)」を返してくれました。

年齢のせいでしょうか。貸した事すら忘れていました(汗)。

 

これは以前伊勢太郎から「フランス土産(専門学校の研修)」としてもらったものです。

更にもう1枚、「ダリダ」の2枚組アルバムももらいました。

(そもそも「ダリダ」って「だれだ」という事になるのでしょうが…。その話は後程。)

 

 

折角ミッシェル・ポルナレフのベスト・アルバムをもらいましたが、結局知っている曲は5、6曲しかない訳で、おまけに3枚全55曲収録のため、全曲集中して聴くのも少々ツライものがありました。

 

さてこのアルバムはフランス盤であり、タイトルも解説も全てフランス語のため全然分かりません。仮に英語であっても分からないでしょうが。

 

 

取りあえず面白い話でもないかなと思い、ネットのWikipediaで「ミッシェル・ポルナレフ」を検索してみました。

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 「ホー、そんなことがあったんだ」と言う

新事実との出会いがここで生まれました。

 

1966年ロンドンで録音されたデビュー・アルバム「michel polnareff」(日本発売は1971年)ですが、この時スタジオ・ミュージシャンとして参加していたのが、まだ若く無名だった頃の、あのジミー・ペイジジョン・ポール・ジョーンズだったそうです。この時はそれぞれギター、ベースで参加しています。

 

レッド・ツェッペリンの結成は、この3年後だそう。

 

ツェッペリン・ファンの人はすでに知っていたのでしょうが、私は知りませんでした。

どこに何の接点があったのでしょう。

 

とにかく私にとっては意外な情報でした。

 

 

 

私が中学生の時には「ポルナレフ」がブームでしたし、馴染みの薄かったフランス語も何となく洒落ていて、特段抵抗もないまま聴いていたようです。

今聴くと、フランス語の響きはロマンチック過ぎて、聴いていて恥ずかしくなります。

何かで読んだことがありますが「フランス語は、世界で最も美しい言語」だとか…。

 

「ポルナレフ」のバック・ミュージシャンに「ジミー・ペイジ」と「ジョン・ポール・ジョーンズ」がいるかと思うと不思議な気がします。

この曲のバックに彼らがいたとは想像もつきません。

 

 

やりたい音楽、目指す音楽と

食うため、メシのタネの音楽とは

必ずしも一致しない。

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さて、もう一つの伊勢太郎のフランス土産「ダリダ」のCDについても話をします。

 

伊勢太郎の土産は「ポルナレフ3枚組」の他に、「ダリダ2枚組」もありました。

ダリダとはフランスの女優であり歌手(エジプト育ちのイタリア系フランス人)。その昔「ミス・エジプト」にも選ばれたこともあるそこそこの美形です。

 

しかし、特に日本で人気のあったタレントさんと言う訳ではありません。

 

私がダリダを知ったのは、「パローレ、パローレ」でお馴染みの甘い囁きと言う日本でヒットした洋楽があったからです。

 

 

この曲は当時「世紀の2枚目」と言われ「美男子(死語)」の代名詞であったフランス映画の男優アラン・ドロンとダリダのデュエット曲です。

我が国では細川俊之(俳優)と中村晃子(歌手・女優)が歌っていました。

 

歌は女性(ダリダ)で、男性(アラン・ドロン)は掛け合いでセリフを言うだけです。

この曲は世界15か国の言語(日本語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語など)で歌われ大ヒット。ダリダの代表曲になっています。

 

 

 

当時20歳の伊勢太郎がフランスのCDショップに行った時の話。

「ミッシェル・ポルナレフ」の名前は知っていたので買えたのですが、「さあ、もう1枚」と思った時に出てきた名前はなんとアラン・ドロン

 

 

ショップの店員や来店客らに

あんた、それは俳優(男優)だよ

笑われたそうです。

 

 

結局、ダリダで決着したそうですが、よく頑張って話をしてくれたものだと伊勢太郎には感謝しています。

 

 

 

本当は「フランソワーズ・アルディ(有名なフレンチ・ポップス歌手)」のCDが欲しかったのですが、後日それはネット通販で入手しました。

 

しかしフランス語って危険な感じがしますね。特に「フランソワーズ・アルディ」。

何か気恥ずかしくて、結局あまり聴きません。

素敵なフランス女性に、耳元で囁かれたらどうしようなどと、ありもしない事を考えてしまうジジイです。

 

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この年になると、音楽に対する集中度が薄くなって来ている様な気がします。

 

今の私には

何か別な事をしながらの音楽、BGM的な聴き方が、

最も音楽を楽しめるスタイル

ではないかと思います。

 

だからこそ

邪魔になるような音楽

神経を逆なでするような音楽

刺激的な音楽

は聴かないと言うか、聴けないと言うか、受け付けないと言うか…。

 

 

ジャズも好きな私ですが、最近はウィズ・ストリングスをテーマにCDを買っています。「弦楽器をバックにしたジャズ演奏」です。

ジャズ・ファンからすると賛否あるようですし、音源もそんなにある訳ではありません。

 

一言でいうと「イージーリスニング・ジャズ」でしょうか。

私はホッと一息つくことが出来て結構好きです。

 

その話はまた後日、忘れなければ…ですかね。

 

 

では、この辺で今回の話はお開きと言う事で…。

 

 

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※伊勢太郎の父はかく語りきシリーズは、不定期の投稿となります。

 

 

 

技巧と感動は一致せず…B,S&Tと天才アル・クーパー/父はかく語りき

~伊勢太郎の父はかく語りきvol.3~

 

 

こんにちはmake me smileです。

 

その昔、私が音楽(洋楽)を聞き始めた頃、音楽は名前を付けてジャンル分けされ、主に音楽雑誌やレコードの帯などに、分かりやすい「謳い文句」として書かれていました

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よく目に飛び込んできたものは、まず国別に分け、アメリカン・ロック、ブリティッシュ、ジャーマン、ダッチ(オランダ)…。(以下、地域別、演奏スタイル別の各ジャンルには、ほぼ言葉のお尻に「ロック」とか「サウンド」と付けて考えてください。例えば「フィラデルフィア・サウンド」とか「グラム・ロック」「ジャズ、ロック」とか)

 

主にサウンドの特色を地域名で表現し、ベイエリア、フィラデルフィア、ウエストコースト、イーストコースト、サザン、カンタベリー…。

 

演奏スタイルや表現方法に特長があれば、ハード・ロック、メタル、グラム、プログレッシヴ、フォーク、ジャズ、ラテン、アート、バムルガム、ポップ、それから意味はよく分かりませんが「ニュー・ロック」なんてものもありました。

 

 

そして私の若い頃、音楽選びの基準となった「シカゴ」が所属?のジャンルがブラス・ロックです。

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「ブラス・ロック」や「シカゴ」については、私なりの独自見解があります。

たびたびネタとして上がると思いますので、宜しくお願い致します。

 

さて、これからお話するのは「ブラス・ロック」の草分け的存在であった

「ブラッド,スウェット&ティアーズ」の創始者

『アル・クーパー』についてです。

 

『アル・クーパーは、ブラッド,スウェット&ティアーズ(以下B,S&T)の創始者であり、ブラスロック・スタイルを実現させようとしたアーティスト。常に新しいサウンドを求めたオルガニストであり、セッション・マンである。1枚目ですぐ脱退。その後はソロ活動云々…』

 

ブラス・ロック・ファンとしては、まずこの程度の最低知識を持ってアル・クーパーを語る訳です。

 

「B,S&Tの名作であるセカンドアルバム『血と汗と涙』は、とりあえず買って聴くことがシカゴ・ファン、ブラス・ロック・ファンの義務であり、その音楽性の違いを語ることが出来て初めてファンを名乗ることが許される」であるかのように私は考えていました。

 

私が中学生の時、シカゴの次に買ったのが、この「B,S&T:血と汗と涙」です。

 

評判通り「血と汗と涙」(アル・クーパーは既に脱退)からは、若さや荒削りさなど微塵も感じられません。大変に完成度の高い成熟感漂うアルバムでした。

 

 

シカゴが「青年」なら

B,S&Tは「大人」の感じがしました。

 

 

メンバーも「〇〇で〇〇をやっていた有名な○○」みたいな凄腕ミュージシャンが集まったグループです。

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プロデューサーは言わずと知れたシカゴの育ての親、「8人目のシカゴ」と言われたジェイムス・W・ガルシオ

 

ガルシオはファースト・アルバムのプロデュースは断ったそうですが、この2作目「血と汗と涙」については引き受けたそうです。

 

一説にはシカゴのデビュー・アルバム制作がプロデュースの条件だったとか…。

このアルバムは1969年、グラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞しています。

 

 

しかし「セカンドがイイ」となれば

気になるのは「ファースト・アルバム

 

暫く時は空きましたが、ようやくファースト・アルバムの子どもたちは人類の父であるを買いました。

 

一部ファンの間では、このアルバムの評価が高かったようですが、当時の私にとっては非常に残念な結果、さほどとは思えませんでした。

いかに「アル・クーパー」が実験的に作ったバンドであろうが、既に比べるもの(セカンド)がある以上、比較されることはどうしても免れません。聴き手としては完全に比べてしまいます。

 

『ボーカルが弱い。ブラスが大人しい。ブラス・アレンジがどうもな。録音状態がモノラル的。もう少し各パートの音を拾いたい…』など当時は中学生にも関わらず、生意気な感想を持ったものでした。

 

ワタシ的には「実験的な音楽を聴かされてもなあ……やはりB,S&Tはセカンドからだな」と、その後も3枚目、4枚目、5枚目と買いますが、ファーストは完全に「お蔵入り」です。

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それから時は流れて、何年か経った頃の事でした。

FMラジオから流れてきた音楽を聴いて衝撃。

 

ガーーン!!

カッコイイ!!!

 

いきなり分厚いブラス群のイントロ。

 

オー、来るぞ!!キタキタ、キタ~!!

 

ところが歌に入ると

決して上手いとは言えないヘナヘナ感満載の歌声

 

その後も吠えるブラス群と線の弱い歌声が微妙に、いや、絶妙に絡んで曲は続きます。

 

 

曲名は「ミッシング・ユー

歌は、そうです、「アル・クーパー」です。

ソロアルバム『倒錯の世界』の中の曲でした。

 

 

その吠えるブラス群の正体は、私の大好きなあの、「タワー・オブ・パワー」。

納得…。

 

楽曲もアレンジも素晴らしく、もう少し突っ込んで聞いてみたいと思いました。

 

結局、このアルバム『倒錯の世界』を買い求めましたが、「やはりこの人はブラス・ロックが好きだったんだ。こういう曲をやりたかったんだ」と当時はほんの少しですが分かったような気がしました。 

 

『倒錯の世界』のライナーノーツには、ハッキリと『歌唱は拙劣』と書かれてあります。

『拙劣』とは「へたで、おとっているようす」(三省堂 現代新国語辞典より)の事。

 

事実、私も確かにそう思っていましたし、『倒錯の世界』を聴いた後もその気持ちは変わりませんでした。

 

今まで彼の名作、名曲と言われる作品をじっくり聴く機会がなかった私ですが、たかだかアルバム2枚の話で留まってしまい、ワタシ的には「残念な部類のアーティスト」に分類していました。

 

 

 

しかし60歳を過ぎたある日、

何故か「アル・クーパー」の声が妙に懐かしくなり、その歌声を聴きたくなりました。

 

そしてついに、19曲入りのベスト盤を買ってしまったのです。

『倒錯の世界』から約40年後の事でした。

 

タイトルは「FREE SOUL the classic of AL KOOPER」です。

 

このベスト盤には、インストロメンタル、ソウル、ファンキー、ディスコ、ゴスペルなど様々な要素が入ったナンバーや、傑作アルバム「赤心の歌」から名曲中の名曲「JOLIE」、もちろん思い出の「ミッシング・ユー」も収録されています。とりあえず、イイとこ取りの有難いアルバム、聴き応えは十分でした。

 

彼はシンガー・ソングライターとして、アレンジャーとして、クリエイターとして、今世紀稀に見る『天才』でした。

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あの頼りない歌声は

すでに上手い下手を超越したもの

『味』なのです。

 

それは聴く者に

技巧と感動は必ずしも一致しない

時として、拙劣は技巧を上回る

と再認識させます。

 

 

彼の「歌声」心を伝える『最高の楽器』なのかも知れません。

 

アル・クーパー」、今では最も好きなアーティストの1人

と言えるかもしれません。

 

 

それでは、今日の話はこの辺でお開きという事で…

 

 

 

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※伊勢太郎の父はかく語りきシリーズは、不定期の投稿となります。

「CHICAGO」にカヴァーしてもらいたい曲は…/父はかく語りき

~伊勢太郎の父はかく語りきvol.2~

 

 

こんにちは、make me smileです。

シカゴ・ネタです。

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我が家にある古い音楽雑誌「レコード・コレクターズ:2010年10月号」に、レコード・デビューする前の「シカゴ」(「ザ・ビッグ・シング」と名乗り、約2年間活動)が好んで演奏していたカヴァー曲のリストが載っていました。

 

一部ですが紹介します。全部英語ですので悪しからず。

 

シカゴ(ザ・ビッグ・シング) カヴァー曲

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  • Jimi Hendrix

…Foxy Lady

  • Frankie Valli

…Can't Take My Eyes Off You

  • The Jimi Hendrix&Experience

…Hey Joe / Purple Haze

  • The Young Rascals 

…Groovin' /How Can I Be Sure

  • Sam&Dave

…Hold On!I'm A Comin' / Soul man

  • The Beatles

…Got To Get You Into My Life / I'll Be Back /                        Magical Mystery Tour / 

    Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band

  • Wilson Pickett

 …Funky Broadway / In The Midnight Hour

  • James Brown And The Famous Flames

…I Don't Mind / I Got You( I Feel Good)

  • Cream

…Sunshine Of Your Love

  • Chuck Berry 

…Johnny B.Goode

 

 

R&Bを始め、ビートルズ、ジミヘン、クリーム等、カヴァー曲はメンバーの記憶(メンバーへの取材結果だそうです)にあるだけでも、約80曲近くに上るようです。

またデビュー前で、オリジナル曲がほとんど無い時代であり仕方のない事ですが、今となっては貴重なリストだと思います。

 

デビューアルバムにも収録され、現在でもライブの終盤で必ずと言っていいほど演奏される「アイム・ア・マン」、1984年の日本公演で演奏した「ギブ・ミー・サム・ラヴィン」(TVで観ました)、両ナンバー共「スペンサー・ディビス・グループ(作者:スティーブ・ウィンウッド)」の曲です。

 

 

ビートルズのナンバーも数曲演奏されているようですが、私が観に行った1973年、北海道札幌の厚生年金会館公演では、実際に「マジカル・ミステリー・ツアー」をオープニング・ナンバーとして演奏しています。

 

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※画像は当時の入場券(半券)です。47年前の物ですが、大切に保管してあります。

 

当時ビートルズをほとんど知らなかった私は、すっかり「新曲だ!!」と思い込んでいました。その頃シカゴのファン・クラブ(以後C・F・Cとします)に入会していましたので、会報に載っていた各会場の演奏リストを見るまで知りませんでした。

 

新曲と勘違いしたシカゴ・ファンも結構いたようです。

 

C・F・Cですが、今思うと当時のファン・クラブ自体が女性と中高生中心のミーハー集団だったのではないでしょうか。

C・F・Cは会費の滞納者が多く、残念ですがその後解散しています。

 

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私は曲名が分かってすぐにレコード店に行き、ビートルズ・コーナーの「マジカル・ミステリー・ツアー」を買いました。

ちなみにこれが私の買った、初めてのビートルズのアルバムになります。

 

「ガット・ゲット・トゥ・ユー・イン・トゥ・マイ・ライフ」(これも1984年の日本公演で演奏しています)もお気に入りの様です。

この曲は、ブラッド・スウェット&ティアーズ、アース・ウィンド&ファイアもよく演奏するようです。

 

個人的にリストで気になるのは「ザ・ヤング・ラスカルズ」の「Groovin'」と「フランキー・バリ」の「Can't Take My Eyes Off You(邦題:君の瞳に恋してる)」でした。

これらは今でも是非聴いてみたいと思わせるナンバーです。

 

 

私はシカゴについて、新作の発表は望んでいません。

おびただしい数に上る旧作の焼き回しを網羅した「ベスト盤」、ほとんどリストに変化のない「ライブ盤」は言うまでもなく、心に響く事のない「新作・新曲」は、さほど今の私にとって必要とは思いません。

 

 

古き良き時代のビッグ・バンド・ジャズをシカゴ風にアレンジした「ナイト&デイ~ビッグ・バンド(1995年制作)」のように、

全編懐かしのヒット曲をカヴァーしたアルバム

を制作して欲しいと思います。

 

「ナイト&デイ~ビッグ・バンド」、選んだジャズ・ナンバーは古くても中身は新鮮で、私の中では久々の大ヒットアルバムでした。

 

 

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半世紀以上も活動をつづけた長寿バンドです。

もうオリジナルにこだわる事もないでしょう。ヒット曲も多いし、コンサートの曲目リストには困る訳ないのだし…

 

 

「それでは、今日はこの辺で。話はお開きと言う事で」と言いながら…

 

 

シカゴに演奏して欲しいカヴァー曲ばかりのリストを勝手に10曲作ってみました。

 

 

シカゴにカヴァーして欲しい10曲(勝手編)

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1.ジェイムスタウン・マサカ

遥かなる夏の陽

2.フランキー・バリ

…君の瞳に恋してる

 ※近年は「ボーイズ・タウン・ギャング」がリバイバルでヒットさせた

3.ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ

…恋のかけひき

4.アル・クーパー

…ミッシング・ユー

5.アイズ・オブ・マーチ

…ヴィークル

6.ライトハウス

…ある晴れた朝

7.タワー・オブ・パワー

…つらい別れ

8.チェイス

…黒い炎

9.ブラッド・スウェット&ティアーズ

…微笑みの研究

 ※オリジナルは「アイム・ア・マン」と同じく、イギリスのバンド「トラフィク」

10.ドゥービー・ブラザーズ

…君の胸に抱かれたい

 ※オリジナルはモータウンの作品で、キム・ウェストン、アイズレー・ブラザーズが歌っている

 

 

 

夢の、希望のナンバーばかり。これが聞けたら最高です。

 

ブラス・アレンジはシカゴ・ホーンのレジェンド、トロンボーン担当の「ジェイムス・パンコウ」がいつものように担当。

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ちょっと聴いただけですぐシカゴだと分かるアレンジ、長尺でお願い致します。

 

 

特に最初に選んだ「遥かなる夏の陽」は、私にとって生涯忘れられない曲BEST5に入る曲です。知らない人の方が圧倒的に多いと思われるこの曲ですが、とにかく明るくて爽やかな曲です。

 

この曲との出会いや思い出については、曲のタイトルにちなんで、もう少し暖かくなってから改めて触れたいと思います。

 

 

希望はまだまだありますが、キリがないので10曲だけにして、この辺で「夢のような話」はお開きにしたいと思います。では…

 

 

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※伊勢太郎の父はかく語りきシリーズは、不定期の投稿となります。

 

 

 

『墓場まで持って行きたいレコード10枚を選ぶとしたら…』/父はかく語りき

~伊勢太郎の父はかく語りきvol.1~

 

 

皆さん、こんにちは。make me smileです。今年63歳になる音楽好きのジイさんです。

 

年齢が年齢なので、内容のほとんどが昔の話ばかりになりますが、どうかお許しください。

 

さて、今から40年程前の出来事になります。

私の高校時代のクラスメイトに、当時『夜のヒットスタジオ』などメジャーなTV番組にも数多く出演し、大手芸能事務所に所属していた日本のロック・バンド、キャデラックスリムのリード・ギタリストがいます。名前はテツヤ君。もちろん本名ではありません。

 

彼が4年程前に帰省した時の事です。

 

テツヤ君は私に

「ねえ、墓場まで持って行く洋楽アルバムを10枚選ぶとしたら、一体何を選ぶ?ベスト盤は無しだよ」

と聞いて来ました。

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楽器の演奏経験はほとんどありませんが、テツヤ君とは音楽の話をよくします。

テツヤ君は「まず1番に選ぶのはニールヤングだな」と、アーティスト名を言ったと思います。酒の席で酔っていましたので、アルバム名は思い出せません。

 

次の日の夜にまた会う約束をしていたので、私は「その時までに考えてみるのも思い白いかな」と思い、その日の夜、色々と考えてみました。

 

翌日に再会した私達ですが、色々と話をした別れ際、私が選んだ『墓場への10枚』を書いたメモを彼に渡しました。

 

「選んでみたけれど難しいね。あくまでも今日現在の選択でしかないね」

 

と、確かそのような事を伝えたと思います。

 

残念ですが手元に当時のメモが残ってないので、選んだ10枚はハッキリ思い出せません。今、確実に思い出せるのはせいぜい「5枚」までです。

 

当時『墓場の10枚』として選んだアルバムは

何だったのでしょう?

 

テツヤ君から質問を受けた時には確かに10枚を選びました。

しかし、5枚までは今でも即答する事ができますが、それ以上となると自分の中で無理やり選んだ、何か不純な気持ちが入ってくるような気がします。

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考えれば考えるほど難しいテーマであり、その答えは時代や動機、そして思い入れの強さなど様々な理由で流動的になってくると思われます。

 

何だかんだ言っても、私は14,5歳の時から洋楽を聴き始め、かれこれ50年、半世紀近くの実績?(何度も言いますが、聴くだけですから)がある訳ですから。

 

何度か整理・処分を繰り返したおびただしい数のレコードやCD。

その中から10枚を選ぶ。いや~、本当に悩ましい…。

 

 

さて、随分前置きが長くなってしまいましたが、いよいよ私が選んだ墓場の5枚(洋楽編)について発表したいと思います。

 

墓場の5枚(洋楽編)

 

1.シカゴ セカンド・アルバム「シカゴと23の誓い」

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まず1枚目は、今年で結成53年を迎える今や「死語」となったブラス・ロック界の大御所、シカゴのセカンド・アルバム、「シカゴと23の誓い」です。

これは2枚組のアルバムで、アルバムの有名なシングル・ヒット曲は「長い夜」、「僕らに微笑みを」があります。特に「長い夜」は初期のシカゴの代名詞でもありました。

 

「シカゴ」については別の機会に触れたいと思いますが、はっきり言って私は「異常なシカゴ・ファン」です。

 

アルバム選択の理由など詳細、また「シカゴ」にまつわる様々な出来事については今回省略させて下さい。

「とにかく異常だと言う事で、シカゴについてはこの辺で…。

 

 

2.マロ セカンド・アルバム「DOS(ドス)」

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「サンタナの弟が若干17歳で作ったバンド」との触れ込みで、デビュー作はそこそこ話題にもなりました。ジャンルは「ラテン・ブラス・ロック」です。

デビュー・アルバムからは「愛しのネナ」と言うスマシュ・ヒット、その後色々なラテンバンドにもカヴァーされた「スアベシート」と言うバラードも出ています。

 

随分後で分かった事ですが、「弟が作った」との話は売りたいがための戦略だったようで、「元々あったバンドに、サンタナの弟が当時参加していた」のが事実のようです。

 

彼はリード・ギターでした。1枚目はエキサイティングな密度の濃い好盤でした。文字通りの「ラテン・ブラス・ロック」です。しかし、ラテン・ラブ・バラードとして有名になった「スアベシート」も収録されていて、選んだ「DOS」と甲乙付けるのが中々大変でした。

 

「DOS」は最もラテン色が強いアルバムです。「乱舞するパーカッション、唸るホーン、泣き叫ぶギター」という感じで、楽器のソロパートも充実しています。

「DOS]以上の激しさや迫力、ノリが強いパワフルなアルバムには、洋楽を聴き始めて約半世紀、巡り合った事はないでしょう。「ラテン・ロック」としてのダイナミックさは、兄のバンド「サンタナ」以上だと思います。

 

立て続けに4枚のアルバムを出した「マロ」ですが、3枚目は多様なラテン系のリズムを使って、また4枚目は聴きやすさを優先にしたのか、軽めのラテン調ポップスが柱になっています。残念ながら、評価も低く、中途半端でした。

1枚目、2枚目の流れこそ彼らの王道のような気がします。

 

「マロ」はアナログ盤4枚で一応終了の様な形となりましたが、近年はCDでスタジオ録音やライブ盤が2~3枚で出ているようです。

とりあえず買ってみましたが、もう昔の様な熱のこもったサウンドは戻ってきません。

バンド自体は今も「マロ主義」で活動しているようです。YOUTUBEで見る事が出来ます。

 

「サンタナ弟」と言うと、解散後ソロとしてAOR系のアルバムを出したり、「マロ」のライブに客演として参加しているようです。

 

 

3.タワー・オブ・パワー セカンド・アルバム 「バンプシティ」

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ベイエリア・ファンクの最高峰、タワー・オブ・パワーのセカンド・アルバムです。

このバンドも息の長いバンドで、結成して50年以上が経ちます。

私との初めての出会い、それは「ませたガキ」中学3年生の時でした。

これは今でもたまに聴くアルバムで、リード・ボーカルは「リック・スティーブンス」と言う人物です。

 

バンドの歴史が長いだけあって、リード・ボーカリストはよく変わりますが、私はリック・スティーブンスが歴代最高のシンガー‼と思っています。

彼はこのアルバム収録後に脱退してしまいますので彼の声はアルバムでしか聴く事が出来ません。脱退後、ソロシンガーとして、あるいはほかのバンドで歌ってないかと思い、探した時期もありました。

 

その後、彼には「死亡説」も流れたりしますが、「殺人を犯して収監されていた」との事です。出所後は「タワー・オブ・パワー」のライブに参加して、名曲の誉れ高い「ヤングマン」を歌う姿がYOUTUBEで見られます。

 

昨年も新しいアルバムを入手しましたが、数だけで言えば、私が「シカゴ」の次にアルバム持っているお気に入りのバンドです。

 

以上の3枚は、私にとって不動のアルバムです。

 

これらのアルバムは、いつどこで誰に尋ねられても即答出来る、『本当に墓に入れたいアルバム』です。

 

 

4.デオダート 「プレリュード」

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さて4枚目ですが、現時点での選択はこれ。アルバムの1曲目に、デオダートで最も有名な曲「ツァラトゥストラはかく語りき」が収録されていますが、もしこのアルバムで好きな曲を挙げ、それに順番を付けるとしたら「ツァラトゥ…」は最後になるかもしれません。

 

実際2曲目から通して聴く事が多かったのです。

「ツァラトゥ…」が決して嫌いな訳ではありません。他の曲が好きなだけです。

 

その後、彼のアルバムは2枚買いました。その他はほとんど借りて聴きましたし、ベスト盤のCDや初期の復刻版CDも持っています。

結局、「何かしながらのBGM」になってしまうのでしょうが、邪魔にならない音楽、「グッド・ミュージック」として、欠かす事のできない音楽だと思います。

 

一時「俺にはラテンの血が流れている」と思ったほど、ラテンやボサノバの雰囲気を感じさせるサウンドが好きでした。

デオダートはブラジル出身だけあって私のツボにドンピシャです。

 

さて、その繋がりと言えるのかも知れませんが、次はボサノバが来ます。

 

 

5.アントニオ・カルロス・ジョビン 「WAVE(波)」

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ジャケットは草原を駆けるキリンの写真に赤のフィルターを掛けた(緑色もある)もので爽やかな雰囲気に溢れています。

「ボサノバ」から、ブラジルやビーチを連想してしまう、己のイメージの貧困さを反省します。

 

当然、買うに当たっては目的になる曲があり、それが「WAVE(波)」でした。

 

高校生の時から、曲のタイトルは分からずじまいだったものの、NHKのFM放送で流れるテーマソングが断然、圧倒的に好きでしたが、結局曲のタイトルが「WAVE(波)」だと分かったのはそれから20年後程後の事です。

 

アルバム自体は2分後半の曲が多く、たまに流れるボーカルはあくまでも優しく、聴き方によっては心もとない脱力感に溢れるものでしたが、それこそが「ボサノバ」。

そのサウンドは、私の心を癒すのに十分でした。

 

「夏はやっぱりボサノバがいいな。やっぱジョビンだな…」

 

 

結局冬でも聴いていますが…。

 

 

最後に

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以上、『墓場の10枚』いや、『墓場の5枚』を選んでみました。

 

もし、6枚目を挙げるとしたら何が来るのでしょう。

 

実は私、「プログレ」も結構好きなんです。特にピーター・ガブリエル在籍時の「ジェネシス」。高校の修学旅行で帰ってきたその日、残ったお小遣いで「月影の騎士」を買いました。5枚目をこれにしようか迷ったぐらいです。

 

さて『墓場の10枚』、皆さんならどのアルバムを選びますか?

 

 

それでは、この辺で話はお開きと言う事で…

 

 

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※伊勢太郎の父はかく語りきシリーズは、不定期の投稿となります。